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石橋尚義 : ミニ英和和英辞書
石橋尚義[いしばし ひさよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
石橋 : [いしばし, せっきょう]
 (n) stone bridge
: [はし, きょう]
 【名詞】 1. bridge 
: [なお]
  1. (adv,conj) (uk) furthermore 2. still 3. yet 4. more 5. still more 6. greater 7. further 8. less 
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 

石橋尚義 : ウィキペディア日本語版
石橋尚義[いしばし ひさよし]
石橋 尚義(いしばし ひさよし、生年不明 - 天正5年(1577年)?)は、戦国時代武将。別名に久義。塩松石橋氏最後の当主。父は石橋定義。子に景義泉胤秋室。陸奥国安達郡塩松城主。
天文11年(1542年)の奥州諸大名を巻き込んだ伊達氏天文の乱において、尚義は当初稙宗方に立って参戦したが、後に晴宗方に転じた。この間に石橋氏の重臣大内義綱が家中での力を強め、尚義を圧倒するようになり、天文19年(1550年)には義綱によって塩松城二の丸に幽閉され、重臣の石橋四天王(大内・大河内・石川・寺坂)に実権を奪われた。
永禄11年(1568年)、隣国の田村氏に通じた大内義綱・石川有信らによって、尚義が塩松城から追放され塩松石橋氏は滅亡した。
牢人となった尚義は天正5年(1577年)に死去したという。相馬領に逃れた娘は後に相馬家重臣・泉大膳(胤秋)の妻となった。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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