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石橋幹一郎 : ミニ英和和英辞書
石橋幹一郎[いしばし かんいちろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
石橋 : [いしばし, せっきょう]
 (n) stone bridge
: [はし, きょう]
 【名詞】 1. bridge 
: [みき]
 【名詞】 1. (tree) trunk 2. (arrow) shaft 3. (tool) handle 4. backbone 5. base 
: [いち]
  1. (num) one 

石橋幹一郎 : ウィキペディア日本語版
石橋幹一郎[いしばし かんいちろう]
石橋 幹一郎(いしばし かんいちろう、1920年大正9年)3月1日 - 1997年平成9年)6月30日)は、日本の実業家ブリヂストンの社長・会長を務めた。ブリヂストンタイヤ創業者の石橋正二郎の長男。
== 来歴・人物 ==
石橋正二郎の長男として福岡県久留米市に生まれる。1937年(昭和12年)旧制・中学明善校(現在の福岡県立明善高等学校)卒業、福岡高等学校 (旧制)九州大学教養部の前身)を経て1年間の浪人後に東京帝国大学に進学。
1943年(昭和18年)東京帝国大学法学部を卒業後に海軍主計課の短期現役に志願し同年9月に海軍経理学校入学。1944年(昭和19年)に同校を卒業。
終戦後、高文も合格したが、1945年(昭和20年)の暮れにブリヂストンタイヤに入社。7年間の工場勤務を経て、1952年(昭和27年)に副社長、1963年(昭和38年)に社長、1973年(昭和48年)に会長に就任した。
1983年(昭和58年)のアメリカファイアストン買収を主導するなど、ブリヂストンを世界的企業に成長させた。資本と経営の分離を標榜し、自身が会長に就任した際には、石橋家以外から社長を抜擢するなど同族企業からの脱皮も図った。
1985年(昭和60年)に名誉会長に就任し代表権を返上。1989年(平成元年)から1991年(平成3年)まで日本経済団体連合会副会長に就任。1997年(平成9年)に相談役となるが、直後の6月30日に77歳で死去した。
1981年(昭和56年)に藍綬褒章1986年(昭和61年)にベルギー王冠勲章コマンドール章、1989年(平成元年)にフランス文芸勲章オフィシェ章を受章。久留米市名誉市民。
1995年(平成7年)には私財を投じて久留米市の石橋美術館の別館を寄贈した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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