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石橋 貢(いしばし みつぐ、1957年5月5日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。島根県出雲市〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、44ページ〕出身。 == 来歴・人物 == 島根県立大社高等学校では同期のエース曽田康二を擁し、捕手、三番打者として1975年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、山陰大会決勝に進出するが、江の川高の崎山嗣盛投手(阪神)に抑えられ、甲子園出場を逸する。卒業後は神奈川大学に進学し、内野手に転向。神奈川(五)六大学リーグでは在学中5回優勝。大学同期(中退)に平川洋幸がいた。 1979年ドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団。大学時代は四番を打った俊足強打の内野手であり大洋でも主に三塁手として起用され、1982年にはイースタン・リーグ盗塁王を獲得した〔。後年は外野に回り、代走・守備要員として1軍に定着。レギュラー寸前まで行ったが今一つアピールポイントに欠け、1990年ヤクルトスワローズに金銭トレードにて移籍。翌1991年現役引退。 1982年8月31日の阪神戦でサードフライの捕球に失敗。フェアかどうかを巡って阪神の柴田猛・島野育夫両コーチが激高、岡田功審判を暴行し出場停止処分となる事件のきっかけとなった。(横浜スタジアム審判集団暴行事件を参照) 通算本塁打数は6本であるが、1988年5月28日の対阪神戦(甲子園)では3打席連続本塁打という記録を残している〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石橋貢」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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