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石母田 達(いしもだ たつ、1924年5月11日 - )は日本の政治家、労働運動家。元衆議院議員(日本共産党公認、1期)。日本共産党名誉幹部会顧問〔名誉役員と顧問を承認 あらたに31氏 日本共産党第21回大会 〕。兄は国民的歴史学運動で知られる歴史学者の石母田正。 == 来歴 == 宮城県石巻市出身〔1972年12月11日付 朝日新聞「当選した491人」〕。東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)卒業〔後、池貝鉄工所に就職〔補給廠で迎えた終戦 町田平和委員会ウェブサイトより〕。第二次世界大戦中は相模補給廠(相模原市淵野辺)に属し、陸軍の技術将校として誘導爆弾や特攻兵器製作に携わる〔食糧メーデーと天皇プラカード事件(1) 松島松太郎氏に聞く 2003年5月大原社会問題研究所雑誌 No.534〕。自らも特攻乗員となり、出撃の日を待ちながら終戦を迎えた〔。 復員後は池貝鉄工所に戻り、旋盤技師を務める傍ら日本共産党へ入党。兄の正に諭され同所の労働組合長に立候補し、1票差で対立候補を交わし組合長に当選する〔。その後、日本共産党神奈川県常任委員、同党横浜市委員会委員長〔を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙で旧神奈川1区から出馬し初当選を果たす。トップ当選であった。当選1回。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石母田達」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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