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石破 茂(いしば しげる、1957年(昭和32年)2月4日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(10期)、内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)、地方創生担当大臣、水月会(石破派)会長。 農林水産大臣(第49代)、防衛大臣(第4代)、防衛庁長官(第68・69代)、自由民主党政務調査会長(第52代)、自由民主党幹事長(第46代)等を歴任した。 参議院議員、自治大臣、国家公安委員会委員長、鳥取県知事、建設事務次官等を歴任した石破二朗〔日外アソシエーツ編『新訂現代政治家事典―中央・地方の政治家4000人』(日外アソシエーツ、2005年)40-41頁。〕は父。 == 来歴 == === 出生、学生の頃 === 鳥取県八頭郡郡家町(現八頭郡八頭町)出身。東京都生まれ〔[対談]「公」を生きる政権与党のNo.2に聞く「自民党幹事長の本音」-石破茂(自民党幹事長)×徳川家広(政治経済評論家) 経済界、(2014年4月24日、徳川家広)、2014年12月10日閲覧〕。父は建設官僚の石破二朗。父二朗が1958年に鳥取県知事になったので、茂に東京の記憶は全くない〔。茂の出生時、父・二朗は48歳であり、二朗の秘書を務めていた高岩迪資によれば、自身の高齢の恥ずかしさから二朗は病院へ行きたがらず、高岩が代理で病院へ出かけていた。そのため病院側は、高岩が茂の父親と間違えたことがあったという〔『回想録 石破二朗 追想篇』171頁〕。 母親は、自身国語教師だったということもあり、結構教育熱心な人だった〔。小学校の頃は毎晩1時間くらい、偉人伝の朗読をさせられた〔。鳥取大学教育学部附属中学校を経て、慶應義塾高等学校に進学。 1979年、慶應義塾大学法学部法律学科卒業〔。慶大2年在学中に、全日本学生法律討論会で第一位〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石破茂」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shigeru Ishiba 」があります。 スポンサード リンク
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