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石浦 将勝(いしうら まさかつ、1990年1月10日 - )は、鳥取県鳥取市西品治出身で、宮城野部屋所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長173cm、体重115kg。最高位西十両8枚目(2016年3月場所)。投げや足癖など入門当初は100kgに満たなかった体格に合わせた相撲ぶりが特徴である〔『相撲』2014年2月号92頁〕。 == 来歴 == 鳥取城北高校相撲部監督・石浦外喜義(いしうら・ときよし、石川県出身〔指導者紹介 鳥取城北高等学校相撲部 2014年7月25日閲覧〕)の長男として生まれ、幼少期から相撲をしていた。鳥取市立富桑小学校2年生の頃からは因幡相撲道場で本格的に稽古を始め、週2回の稽古の合間には野球や水泳にも打ち込んだ。野球では左腕のエースとして活躍していたが、素質を見抜いた同乗の倉本新太郎監督に「お前は毎日稽古場に来い」と口説かれ、小学校高学年からは相撲一本に絞った。中学校は鳥取城北高校と一貫練習を行っている鳥取市立西中学校に進学し、現在は同じ部屋に所属している山口(入門時、幕下付出)とは、ここで出会うことになった〔『相撲』2014年3月号74頁〕。だが中学時代には鳥取城北高校から日本大学という既定路線が敷かれつつあることを不愉快に思い、商業高校への進学を考えて簿記の勉強をしていたというが、「相撲を辞めたら自分に何が残るか」と自問自答し、これは思いとどまった〔『相撲』2014年3月号74頁〕。高校は父親が相撲部監督を務めている鳥取城北高校に山口と共に進学。1学年下には貴ノ岩がいた。高校在学中は団体戦でレギュラーメンバー入りして団体優勝に導き、個人戦では2・3年次で全日本ジュニア体重別相撲選手権大会の軽量級で2連覇を達成(2年生の時がこの大会の第1回大会)。3年生の時には世界ジュニア選手権の軽量級で優勝し、この時に横綱の白鵬と知り合った。 高校卒業後は日本大学文理学部に進み、引き続き相撲部に所属。大学の1学年上には常幸龍が、同学年には山口と英乃海が、1学年下には遠藤がいた。1年次に東日本学生個人体重別選手権の無差別級準優勝、2年次に全日本大学選抜十和田大会3位入賞などの実績を残した〔大相撲 OB石浦が宮城野部屋に 横綱白鵬と同部屋 nu press e-NEWS 2013年5月24日閲覧〕。だが3年途中から腸の病気を患い自信を喪失し、稽古にも身が入らなくなった。それからしばらくして元から好きだった格闘技にも活路を見出そうとしていたが道場に通う40代の男に歯が立たなかったことを理由にわずか3か月で挫折した経験もある〔『相撲』2014年3月号74頁〕。 2012年春に日大を卒業した後は一時オーストラリアに語学留学したり、格闘家を目指したりして悩んでいたが、同年7月に相撲のオーストラリア国内選手権で優勝。ちょうどこの頃に山口(当時の四股名は大喜鵬)と高校の1年後輩である貴ノ岩が関取昇進を決めたということもあり、プロ入りすることを決意した。現地では予てより相撲を教えていたがこれに触発されて留学時代終盤には熱を帯びて指導をするようになったといい、帰国までに四股・腕立て・腹筋を毎日300回ずつこなした上で80kgを切った体重を大量の白米で100kg近くまで増やすことで大相撲に耐え得る肉体を取り戻した〔『相撲』2014年3月号74頁〕。翌月に日本へ帰国し、プロ入りに反対していた父親を「一度きりの人生だから」と言って説得。12月24日に、山口に次ぐ白鵬の内弟子第2号として宮城野部屋へ入門することが発表され、「もう一度相撲を力いっぱい頑張ろうと思った」と語った〔白鵬、内弟子2人に誓ったV24! デイリースポーツonline 2013年5月24日閲覧〕〔白鵬「内弟子2号」獲得!イブのサプライズ会見 SANSPO.COM 2013年5月24日閲覧〕〔強豪校監督の長男が角界へ MSN産経ニュース 2013年5月24日閲覧〕。2013年1月場所、四股名を本名と同じ「石浦」として23歳で初土俵を踏み、鳥取県出身としては元序ノ口の大田中(中村部屋)以来、実に17年ぶりの力士となった。同期生には阿武咲、爆羅騎らがいる〔新弟子検査、打越ら16人が合格/初場所 SANSPO.COM 2013年5月24日閲覧〕。初めて番付に名前が載った3月場所は序ノ口で7戦全勝優勝〔異色経歴の石浦、全勝対決制し序ノ口V/春場所 SANSPO.COM 2013年5月24日閲覧〕、5月場所も序二段で7戦全勝優勝と、2場所続けて各段優勝。本割での連勝記録も伸びていたが、三段目に昇進した7月場所の6番目の相撲で能登櫻に敗れて連勝記録は19でストップした。7番相撲では阿武咲に勝ち、6勝1敗に終わり翌9月場所では幕下に昇進した。幕下に昇進した後も快進撃を続け、わずか2場所で幕下15枚目以内に昇格した。東幕下5枚目まで昇進した2014年3月場所は3番相撲まで黒星続きであったがそれ以降7番相撲まで4連勝し、最終的に場所を4勝3敗と勝ち越しで終える。翌5月場所は関取目前の番付で、十両力士との対戦もあったが、2勝5敗で初土俵以来の連続勝ち越しが止まった。以降も十両昇進をうかがう番付に定着。2015年1月場所では土付かずの6連勝と好調だったが、幕下優勝のかかる13日目の7番相撲で正代に敗れて優勝はできなかった。7番相撲を終えた翌日の報道では「関取昇進は持ち越し」と伝えられた〔石浦惜敗「関取」持ち越し YOMIURI ONLINE 2015年01月24日〕が、十両下位に成績不振者が多かったこともあり、場所後の番付編成会議で新十両昇進が決定。鳥取県出身の関取は第53代横綱琴櫻以来、53年ぶりの復活となった〔新十両に阿炎、天風、石浦 日刊スポーツ 2015年1月28日(2015年1月28日閲覧)〕。新十両となった3月場所からは2場所続けて勝ち越しとして以降は十両に定着し、時には足技や八艘飛びなどの奇抜な技をはじめ、多くの技を駆使している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石浦将勝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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