翻訳と辞書
Words near each other
・ 石田派
・ 石田流
・ 石田浜海水浴場
・ 石田浩二
・ 石田浩子
・ 石田淡朗
・ 石田淳
・ 石田淳也
・ 石田満
・ 石田潤一郎
石田為久
・ 石田燿子
・ 石田燿子のHYPER ANISON WEB♪
・ 石田玉山
・ 石田瑞穂
・ 石田瑞穂 (詩人)
・ 石田瑞麿
・ 石田町
・ 石田町 (名古屋市)
・ 石田町 (愛西市)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

石田為久 : ミニ英和和英辞書
石田為久[いしだ ためひさ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [ため]
 【名詞】 1. good 2. advantage 3. benefit 4. welfare 5. sake 6. to 7. in order to 8. because of 9. as a result of 

石田為久 : ウィキペディア日本語版
石田為久[いしだ ためひさ]
石田 為久(いしだ ためひさ、生没年未詳)は、平安時代末期の相模国大住郡糟屋庄石田郷(現在の神奈川県伊勢原市)の武将。通称は次郎。三浦氏の一族で、三浦義明の従孫、蘆名為清の孫、為景の子(『三浦系図』)。
治承・寿永の乱において鎌倉方として源義仲討伐軍に加わる。寿永3年(1184年)正月21日、義仲が粟津の戦いで敗北し、北国へ落ち延びる道中、馬が粟津の松原で深田にはまり込んで動けなくなった所を、矢を放って義仲のの内側を射抜いた。義仲が倒れた所を為久の郎党2人が駆けつけ、その首を取った(『平家物語』木曾最期)。『吾妻鏡』(元暦元年正月20日条)にも義仲が相模国住人石田為久により討たれた事が記されている。『愚管抄』では義仲を討ち取ったのは伊勢義盛としている。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石田為久」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.