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石田 瑞穂(いしだ みずほ、女性、1988年1月22日 - )は、日本のバレーボール選手。プレミアリーグ・デンソー・エアリービーズに所属。 == 来歴 == 群馬県富岡市出身。祖父と父が陸上競技選手というスポーツ一家に生まれ、母親がママさんバレーをしていた影響で、小学校3年生からバレーボールを始める。中学3年次にはJOC杯で県代表メンバーに選抜される。 高崎商科大学附属高等学校では2004年、2005年春高バレーなどに出場し、主将として2006年アジアジュニア選手権(準優勝)、2007年世界ジュニア選手権(3位)に貢献した。 高校卒業時に、プレミアリーグの2チームからオファーがあり、練習環境が故郷に似た武富士バンブーに入部する。 2009年5月、武富士バンブーの廃部に伴い、同年7月、久光製薬スプリングスに移籍。武富士時代のニックネームは「ミホ」だったが、スプリングスに同じニックネームを持つ筒井視穂子が在籍していた為、「ミズホ」に変更(ただし、迫田さおりなど親交のある他チームの選手の中には現在も「ミホ」の愛称を用いている者もいる)。 2009年4月、全日本女子代表メンバーに登録され、2010年11月、世界選手権に出場し、銅メダル獲得に貢献した〔世界選手権エントリーメンバー14名のうち、ベンチに入れるのは、各試合ごとに12名。石田は大会3日前に左足首を捻挫したこともあり、10試合目となる準決勝ブラジル戦で初めて(迫田さおりの代わりに)ベンチ入りを果たした。そして随所でピンチサーバーとして出場。翌日の3位決定戦アメリカ戦では、第2セット途中からは江畑幸子と交代し、そのまま最終第5セットまで出場した。〕。 2012年6月、ロンドンオリンピックの代表メンバーには漏れたが眞鍋政義監督の要請でリザーブメンバーに選出され、チームと帯同することになり〔、チームのサポートにあたっていたが、開会式の日に母が危篤状態であるとの知らせを受けて帰国〔。この大会の女子バレーボールで日本は銅メダルを獲得したが、迫田は準々決勝からの3試合、石田のユニホームを自分のユニホームの下に重ね着して試合に臨んでいた〔。 2014年6月、久光製薬からの退団が発表され、デンソー・エアリービーズに移籍した。しかし、2014/15V・プレミアリーグにはメンバー登録されず、2014-15シーズンはリーグ戦出場不可であることを余儀なくされた〔(デンソーの2014/15V・プレミアリーグ登録メンバー)〕。2015-16シーズンよりVリーグ登録され、チーム主将も務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石田瑞穂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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