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石田祝稔 : ミニ英和和英辞書
石田祝稔[いしだ のりとし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

石田祝稔 : ウィキペディア日本語版
石田祝稔[いしだ のりとし]

石田 祝稔(いしだ のりとし、1951年9月1日 - )は、日本政治家公明党所属の衆議院議員(7期)、公明党政務調査会長
農林水産副大臣福田康夫改造内閣麻生内閣)、厚生労働副大臣第1次安倍内閣)、衆議院経済産業委員長等を務めた。
== 来歴 ==
高知県高知市生まれ。1970年高知県立高知追手前高等学校を卒業し、電気通信大学に入学するが、翌1971年に中退。その後創価大学文学部社会学科に入学し、1975年に卒業。1978年、創価大学大学院文学研究科修士課程を修了。1979年東京都庁に入庁した。
1990年第39回衆議院議員総選挙公明党公認で高知県全県区(定数5)から出馬し、得票数4位で初当選した。1993年第40回衆議院議員総選挙では、得票数3位で再選。1994年、公明党の解党に伴い公明新党を経て新進党に合流した。1996年第41回衆議院議員総選挙では、新進党公認で高知1区から出馬。この総選挙では、高知1区で自由民主党が候補者を擁立せず、日本共産党山原健二郎旧民主党五島正規、石田の3人を中心に議席を争い、山原が当選。五島は比例復活したが、重複立候補していなかった石田は落選した(新進党は一部の候補を除き、重複立候補を認めていなかった)。1997年の新進党解党により、新党平和を経て公明党の再結成に参加。2000年第42回衆議院議員総選挙に公明党公認で高知1区から出馬したが、自民党の福井照、民主党の五島正規に敗れ、再び落選した(五島は比例復活)。
2003年第43回衆議院議員総選挙に公明党公認で比例四国ブロックから出馬し、7年ぶりに国政に復帰した。2006年衆議院経済産業委員長に就任。同年9月、第1次安倍内閣厚生労働副大臣に任命された。2008年福田康夫改造内閣農林水産副大臣に任命され、麻生内閣まで務める。
2014年9月、新設された公明党中央幹事会において会長代理に起用された。2015年10月、石井啓一国土交通大臣就任に伴い、石井の後任の政務調査会長に起用された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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