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石田重家 : ミニ英和和英辞書
石田重家[いしだ しげいえ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 

石田重家 : ウィキペディア日本語版
石田重家[いしだ しげいえ]

石田 重家(いしだ しげいえ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将石田三成の嫡男。関ヶ原の後に出家し、臨済宗の僧としての名は済院宗享
== 略歴==
天正11年(1583年)または天正15年(1587年)、石田三成の嫡男として誕生したとされる。
慶長5年(1600年)、重家は大谷吉継から上杉討伐に出陣する徳川家康の下へ参陣するように勧められるが、関ヶ原の戦いが勃発したため、豊臣家に対する人質として大坂城に留め置かれた。
しかし、関ヶ原における西軍大敗の知らせが届くと、9月19日夜、重臣の津山甚内乳母らによって密かに脱出を促され、京都妙心寺の塔頭寿聖院に入って、住職の伯蒲慧稜(伯蒲恵稜とも)によって剃髪して仏門に入れられた。伯蒲は法号として宗享の名を彼に与える。済院は字。
伯蒲は、京都所司代奥平信昌を通じて助命を嘆願し、家康は本多正信と協議して、重家がまだ十代前半と若かったことからこれを許した。元和9年(1623年)、宗享は仏戒を修めて、雲屋祖泰(雲屋宗春)より寿聖院を三世として受け継ぐが、そもそも寿聖院は三成が実父正継のために伯蒲を招いて開基した寺である。
また、後に春日局の側近として大奥で仕えることになる祖心尼に禅を教授したとも言われている。
貞享3年(1686年)閏3月8日、死去。享年104ともいうが、生年には前述の他にも異説が多くあり、正確な年齢はよくわからない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石田重家」の詳細全文を読む




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