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石谷頼辰 : ミニ英和和英辞書
石谷頼辰[いしがい よりとき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [たつ]
 【名詞】 1. fifth sign of Chinese zodiac (The Dragon, 7a.m.-9a.m., east-southeast, March) 

石谷頼辰 : ウィキペディア日本語版
石谷頼辰[いしがい よりとき]

石谷 頼辰(いしがい よりとき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将
== 生涯 ==
美濃国の武将・斎藤利賢の長男として誕生。始め孫九郎と名乗る。弟に斎藤利三、実妹に斎藤氏(蜷川道標の妻)、異父妹に石谷氏長宗我部元親の妻)がいる。
実母の再婚相手である石谷光政の婿養子となり、義父・光政と共に室町幕府13代将軍足利義輝に仕えた。義昭が織田信長京都を追われると、織田氏家臣の明智光秀に仕えた。信長と土佐国戦国大名・長宗我部元親が四国の領有を巡って対立すると、光秀の使者として義弟の元親の説得に赴いたが、成功しなかった〔谷口克広『戦争の日本史13 信長の天下布武への道』(吉川弘文館、2006年) ISBN 4642063234 P249より。〕。
その後、主君・光秀が本能寺の変を起こし山崎の戦いにて敗死したため、頼辰は妹の嫁ぎ先である土佐国へ落ち延びて長宗我部氏に仕えた。中央での経験を買われて重用され、その給地は四十四町にのぼり、娘は元親の子・長宗我部信親(頼辰の甥)に嫁いだ。
天正14年(1586年)12月12日、戸次川の戦いで女婿・信親と共に戦死した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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