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石部安浩(いしべ やすひろ、1938年1月16日 - 2010年9月29日)は、中央大学名誉教授。元陸上競技(走高跳)選手。1986年4月から2008年3月まで中央大学教授。1978年4月から1990年3月まで中央大学陸上競技部監督。1995年ユニバーシアード福岡大会の日本代表の陸上女子監督、2000年日本学生陸上競技連合オーストラリア遠征の日本代表監督。日本陸上競技連盟強化委員、関東学生陸上競技連盟コーチ、日本学生陸上競技連合強化委員などを務めた。 == 経歴 == *金光学園中学校2年の時、陸上競技部顧問に声を掛けられて陸上競技(走高跳)を始めた。 *高校時代、全国高等学校陸上競技対校選手権大会(インターハイ)優勝、国民体育大会(19歳未満)優勝、その後、中央大学へ進学した。入学後の2年間は、炎(ジャンパー膝)の為に競技を中断していたが、大学3年時に競技を再開、その年、1958年には日本陸上競技選手権大会(日本選手権)で準優勝して復活した。中央大学卒業後はリッカーミシンへ進み、1962年にベリーロールで2mを記録、同年、日本陸上競技選手権大会(日本選手権)で優勝、翌年1963年に現役を引退した。 *教員としての経歴は、1962年中央大学体育研究助手となって以降、1972年中央大学法学部講師、1976年中央大学法学部助教授、1986年中央大学法学部教授に就任、2008年4月に名誉教授となった。 *陸上競技指導者としては、1975年4月から中央大学陸上競技部の助監督、1978年4月に監督となり、1995年4月から2008年3月まで副部長を務めた。一方で、1971年4月から日本陸上競技連盟の委員を務め、その後も関東学生陸上競技連盟、日本学生陸上競技連合の各種委員を務めた。その間、1995年8月のユニバーシアード福岡大会では、日本女子監督を務めた。 *2010年9月29日、北里大学病院にて死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石部安浩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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