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石間秀機 : ミニ英和和英辞書
石間秀機[いしま ひでき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [けん, ま]
 【名詞】 1. space 2. room 3. time 4. pause 
: [き, はた]
 (n) loom

石間秀機 : ウィキペディア日本語版
石間秀機[いしま ひでき]

石間 秀機いしま ひでき1944年3月21日 - )は、日本ロックギタリスト、シターラ奏者。北海道札幌市出身。以前は、石間秀樹の芸名で活動していた。インド音階を駆使したラーガ奏法の日本における第一人者。
== 来歴 ==
高校卒業後に本格的にギターを始め、札幌で「ジャローズ」というバンドを結成。その後上京し、1966年GSグループ「ジ・アウトロウズ」(後にザ・ビーバーズと改名)を結成。1967年シングル「初恋の丘」でデビューしたが、1969年解散。
同年内田裕也に誘われ、ロックバンドフラワーズ」にリード・ギタリストとして参加する。同バンドはメンバー・チェンジを経て「フラワー・トラベリン・バンド」(FTB)となり、翌年アルバム『anywhere』でデビュー。アルバムほぼ全曲の作曲を担当するなど、ボーカルジョー山中とともに中心メンバーとして活躍した。1973年の解散後は、ソロアルバム『ONE DAY』(石間ヒデキ名義)の製作・杉田二郎とのコラボレーションなどを経て、1974年チト河内篠原信彦後藤次利らとともにトランザムを結成。アルバム『トランザム』などを製作したが、翌年脱退。以後はソロのミュージシャンとして、ジョー山中などのアルバムに参加。
1980年、GS時代からの盟友・萩原健一と「ドンジュアンR&Rバンド」〔萩原の自伝『ショーケン』(2008年 講談社)では『ドンジャン・ロックンロール・バンド』と呼ばれている(『ショーケン』P233)〕を結成。精力的なライヴ活動を行う一方、『DONJUAN』(80)、『デランジェ』(82)などのアルバムを製作。1984年には、神代辰巳監督の映画『戻り川』の音楽を担当。1986年には、沢田研二とバンド「CO-CoLO」を結成。88年までにアルバムを3枚製作し、ツアーも積極的に行った。
1995年ごろにインドに渡り、1998年インド・ビシュヌプール派最高峰のシタール奏者・パンディット・モニラグ・ナグと出会い、彼に師事。その後、シタールとギターを融合させたオリジナル楽器・シターラを開発し、シターラ・シタールによる本格的活動を開始。2000年には、篠原信彦とユニット「Pythagoras Party」を結成〔『毎日新聞』 2000年10月10日夕刊〕。屋敷豪太などを共演者に迎え、アルバム『MORE-ish』をリリース〔。2002年には深町純堀越彰とユニット「NEO.JP」を結成、その後2007年にインストゥルメンタル・グループ「VIEW」を結成、現在もライブ活動を中心に精力的な活動を展開中。2008年、フラワー・トラベリン・バンドでのオリジナルメンバーによる再始動を発表した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石間秀機」の詳細全文を読む




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