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石黒 竜也(いしぐろ たつや、男性、1982年9月20日 - )は、日本のキックボクサー。北海道出身。元NJKFウェルター級王者。フリー。LAILAPS東京北星ジムトレーナー。イシグロタツヤのリングネームを使用していたこともある〔[NJKF] 4.29 板橋・小国ジム興行 BoutReview 2002年5月3日〕。 左腕に大麻の葉、右腕にラリった赤ん坊のタトゥーを入れ〔世界一危険な実戦格闘技「ラウェイ」、新宿上陸! 千年の歴史を持つミャンマー拳法、今ベールを脱ぐ スポーツナビ 2006年3月18日〕、顔面(左目付近)や首右側〔凶気の男、やる気なし? 石黒竜也「ま、テキトーに」=Krush スポーツナビ 2010年9月20日〕にもタトゥーを入れている。 == 来歴 == 2001年10月8日、ニュージャパンキックボクシング連盟でプロデビュー(不戦勝)〔★大会結果★NJKF10.08板橋大会結果 BoutReview 2001年10月8日〕。 2004年11月23日、NKBウェルター級王座決定戦で小野寺亮と対戦し、1Rに3度のダウンを奪うKO勝ちを収め王座を獲得した〔[NJKF] 11.23 後楽園:桜井洋平、ライト級も制覇 BoutReview 2004年11月24日〕。 2005年5月3日、NJKFウェルター級タイトルマッチで笛吹丈太郎と対戦し、0-3の判定負けで王座から陥落した。2Rには笛吹の左腕に噛みつき減点1が与えられた〔[NJKF] 5.3 後楽園:笛吹2階級制覇。フェザーは岩井が王者に BoutReview 2005年5月7日〕。 2005年8月28日、初参戦となったR.I.S.E.のメインイベントでTATSUJIと対戦し、3Rにダウンを奪われた上で0-3の判定負けを喫した〔[R.I.S.E.] 8.28 大森:TATSUJI、正統派ファイトで石黒に圧勝 BoutReview 2005年8月28日〕。 2006年3月17日、Kushima's Fight 12でラウェイ・ウェルター級王者チョー・ニェンとラウェイルールで対戦。パンチでニェンの顔を腫れ上がらせたもののダウンは奪えず、時間切れドローとなった〔[ラウェイ] 3.17 新宿:立技VTが拳合戦に行き着く理由 BoutReview 2006年3月17日〕。 2006年5月13日の「MARS World Fighting GP in 幕張」に出場予定であったが、体調不良により欠場となった〔[MARS] 5.13 幕張:コーベット×ロバーツ、肘&膝連打有りルールに BoutReview 2006年5月13日〕。 2006年7月2日、NJKFでガオラン・カウイチットと対戦。1R終盤にガオランが右肩を脱臼し、パンチと膝蹴りの連打でKO勝ちを収めた〔[NJKF] 7.2 ディファ:高橋拓也、タイ強豪に敗れるも奮闘 BoutReview 2006年7月2日〕。 2006年8月27日、初参戦となった全日本キックボクシング連盟のメインイベントで金沢久幸と対戦し、0-3の判定負けを喫した。1Rから互いに反則攻撃を繰り出す荒れた展開となり、石黒がタックルで金沢を倒し踏みつけ攻撃を加えたところでレッドカードが提示されたものの、金沢のダメージ回復を待って試合は続行された。2Rには石黒が金沢に頭突き攻撃を加えた後、馬乗りになってマウントパンチを繰り出したところで金沢のセコンドがリングエプロンから石黒にキックを繰り出した。その後、リング上に両陣営が入ったところで、石黒はリングを降り、控室に戻った。結局、石黒の頭突き攻撃と場外逃避に対し、2枚(計3枚)のレッドカードが提示され、金沢のセコンド乱入に対してもレッドカードが提示された。それでも試合は続行されたが、お互いに反則攻撃を繰り出す状態であった〔[全日本キック] 8.27 後楽園:望月&皓彦が王座に前進 BoutReview 2006年8月27日〕〔【全日本キック】石黒が前代未聞反則大暴走を連発、それでも金沢は最後まで闘う 格闘技ウェブマガジンGBR 2006年8月27日〕。 2006年9月8日、2006年9月1日から1年間の出場停止、所属先であった東京北星ジムを破門、NJKFを除名という処分が発表された〔【NJKF】石黒竜也の所属ジム破門、連盟から除名処分が決定 格闘技ウェブマガジンGBR 2006年9月8日〕。 2007年8月19日、和術慧舟會総本部主催「ラウェイ ミャンマーVSジャパン 5対5マッチ」でラウェイ無差別級王者ロン・チョー相手に復帰戦を行なう予定であったが〔[慧舟會総本部] 8.19 ディファ:石黒竜也、ミャンマーラウェイで復帰 BoutReview 2007年8月19日〕、欠場となった〔[ラウェイ] 8.19 ディファ:寒川、ラウェイ王者を下す BoutReview 2007年8月19日〕。 2008年11月30日、2年3か月ぶりの復帰戦となったNJKF興行でクンスック・アラビアジムと対戦し、1-1の判定ドロー。東京北星ジムに復帰しトレーニングしていたもののフリーランスとして出場し、試合態度などによりジムおよびNJKFへの正式復帰を査定すると発表された〔[NJKF] 石黒竜也、復帰戦はフリー扱い。試合態度で査定 BoutReview 2008年11月7日〕 2009年8月23日、山本喧一プロデュース興行「タイタン・ファイティング・チャンピオンシップ5」に来場し、参戦決定選手として挨拶を行なった〔【タイタンファイト】11・1過激ルールの大会に“極悪”石黒竜也が参戦「全員ブッ倒す」 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年8月23日〕。 2010年7月24日、GLADIATOR 8でハン・スーファンと対戦し、右ローキックでKO勝ちを収めた。試合後のリング上でK-1参戦をアピールした〔【グラジエーター】“極悪”石黒竜也がキックルールでハン・スーファンをKO 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年7月24日〕。 2010年9月20日、Krush初参戦となったKrush.10で堤大輔と対戦。途中でスタミナ切れを起こし、相手の攻撃を受けたり、自分からクリンチする場面が目立ち、0-3の判定負け。ちなみに、石黒の故意の反則は試合中になく、クリーンな試合内容であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石黒竜也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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