|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 石 : [こく, いし] 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) ・ 鼓 : [つづみ] 【名詞】 1. hand drum
石鼓文(せっこぶん)とは、唐初期に鳳翔府天興県(今の陝西省鳳翔県)で出土した10基の花崗岩の石碑、またはそれに刻まれた文字をいう。現存する中国の石刻文字資料としては最古のもので、出土した当時から珍重され、現在は北京故宮博物院に展示されている。 通称の「石鼓文」は、詩人の韋応物や韓愈がこの石碑を称えて「石鼓歌」を編んで広まった。 狩猟を描写した詩が刻まれており、当時の狩猟をはじめとする王の暮らしがわかる文献資料の一つに位置づけられる。字体は始皇帝の文字統一以前に用いられた「大篆」の例として書家に愛好され、呉昌碩の臨書など作品のモデルとなっている。 また、戦乱のたびに亡失と再発見を繰り返し、亡失のたびに破壊されており、再発見のたびに判読できる字数がチェックされ、戦乱による被害状況も克明に表されている。 その一部が、岩波書店刊行の『漱石全集』の装丁に用いられた。 ==石鼓の成立時代== 出土当時より、石鼓がいつ刻まれたのか議論は尽きなかった。現在のところ戦国時代の秦で作られたとする説が有力である。 唐初期に出土した際は、狩猟を描写した詩歌が周の宣王を称える詩経の「車攻」や「吉日」の詩と酷似していることから、周の宣王時代の作と考えられた。この説は長く支持され、清の乾隆帝もこれを認めたため、反論は辛亥革命後に噴出した。 *記録によると、宣王は出土地の近辺で狩をした形跡がない。 石鼓に歌われた「朱塗りの弓」や「3頭曳きの馬車」は諸侯が使うもので、宣王にはふさわしくない。 *そもそも宣王の時代には、花崗岩を刻める鉄の鏨は存在しない。 これらの反論を受けて、宣王時代説はほぼ否定されている。始皇帝の文字統一によって絶滅した古い書体であることから、始皇帝以後の偽作であるとも考えられない。 現在の論点は、統一前の秦のどの時代に作られたか、に絞られており、襄公・文公・穆公のいずれかが有力視されており、献公の紀元前374年頃の巡狩の際の詩文とも考えられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石鼓文」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|