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砂川駅 : ミニ英和和英辞書
砂川駅[すながわえき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [えき]
 【名詞】 1. station 

砂川駅 : ウィキペディア日本語版
砂川駅[すながわえき]

砂川駅(すながわえき)は、北海道砂川市東2条北3丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線
駅番号A20電報略号スナ
砂川市の代表駅で、特急は「スーパーカムイ」の全列車と「オホーツク」の2往復(下り1・7号、上り2・8号)、「スーパー宗谷」1号、「サロベツ」が停車する。
== 歴史 ==

幌内鉄道を受け継いだ北海道炭礦鉄道は、明治23年4月9日、夕張と空知の両炭山開発を進めるため、それぞれの支線とそれが繋がる幹線計画を北海道庁に提出した。この計画で、空知炭山支線(歌志内線のこと)の分岐点に策定されたのが当駅である。計画当初の仮称は「歌志内」で、後に「砂川」に改められて「歌志内」は支線の終点駅名にされた。なお、開業時は幹線支線共に空知線と称された〔北海道鉄道百年史 日本国有鉄道北海道総局 昭和51年3月出版 上巻 P120 「第5章北海道炭礦鉄道/第3節幌内鉄道からの引継ぎ」〕。
歌志内や上砂川の空知炭田から出炭される石炭貨物の中継基地だった。また、周囲には枕木の防腐処理工場(大正時代初頭まで)や枕木製造の木工場、軌道用の砂利採取場(昭和37年まで)を抱え、鉄道敷設に欠かせない資材供給の拠点でもあった。特に中国大陸へ進出していた昭和の初めから終戦までは国内のみならず満州や中国の鉄道用に大量の枕木が生産発送されて、町中を木材の匂いが覆い、石炭よりも木材の町としての印象が大きかった〔。
* 1891年明治24年)7月5日:北海道炭礦鉄道空知線の岩見沢 - 砂川、及び砂川 - 歌志内が開通し、砂川駅として開業〔北海道炭礦鉄道会社 第四回営業報告 明治24年上期(同年4月-9月)。二頁より『空知線ノ内岩見澤ヨリ砂川ニ至ル幹線二十二哩四百九十五呎砂川ヨリ歌志内ニ至ル八哩四千三百四呎余新設鐵道工事竣工セシヲ以テ六月中鐵道廳ノ檢査ヲ經七月五日ヨリ仮ニ營業ヲ開始セリ』、同九頁より『…停車場ハ峯延、美唄、奈井江、砂川、歌志内ノ五驛ニシテ七月五日ヲ以テ開業ス』。〕。
* 1892年(明治25年)2月1日:現・函館本線の旭川方面(砂川 - 空知太)が開通〔北海道鉄道百年史 上中下巻日本国有鉄道北海道総局 昭和51-56年発行。〕。
* 1893年(明治26年)下期:転車台設置〔北海道炭礦鉄道会社 第九回営業報告。〕。
* 1898年(明治31年)
 * 上期:構内模様替え及び跨線橋設置〔北海道炭礦鉄道会社 第十八回営業報告。〕。
 * 7月16日北海道庁鉄道部上川線、滝川 - 空知太間接続開通。北海道炭礦鉄道との契約により滝川 - 砂川が北海道庁鉄道部により使用とされ、同時に空知太駅廃止。砂川を共同使用駅とする〔。
* 1901年(明治34年)8月31日:滝川機関庫砂川派出所設置〔。
* 1903年(明治36年)上期:三井物産砂川木挽工場(後に三井木材工業砂川工場)専用線約360m敷設〔北海道鉄道百年史 上巻 P133。〕。「三井物産砂川木挽工場沿革」大正2年頃発行 によれば、明治35年創業当時に専用鉄道26C、明治38年頃に専用鉄道1M3Cおよび軽便軌道8M15C、大正元年頃に専用鉄道1M33Cおよび軽便軌道6M2Cだった。この軽便軌道はパンケウタシナイ川とペンケウタシナイ川の合流地点にあった流送木材の陸揚げ土場(網場)から木工場へ向かってパンケウタシナイ川の右岸に沿って敷かれた軌道である〔この軽便軌道には一時期、王子製紙苫小牧工場の専用鉄道「王子軽便鉄道」の最初期の機関車が所属していた。〕。
* 1906年(明治39年)10月1日:北海道炭礦鉄道の鉄道路線国有化により、国有鉄道に移管〔。
* 1909年(明治42年):砂利岐線敷設〔。
* 1918年大正7年)11月5日:三井鉱山の請願により、上砂川の三井鉱山砂川炭鉱まで専用線敷設開業〔新上砂川町史 昭和63年3月発行。〕。
* 1926年(大正15年)8月1日:三井鉱山専用線を函館本線の上砂川支線とし、旅客扱い開始〔。上砂川支線ホームまでの跨線橋設置〔。
* 1942年昭和17年):駅構内拡張工事〔。
* 1954年(昭和29年)6月10日:駅舎改築〔。
* 1963年(昭和38年):砂利岐線952m撤去。〔〔私たちの砂川市史 平成3年3月発行 data砂川巻年表。〕
* 1984年(昭和59年)2月1日:貨物取扱廃止〔停車場変遷大事典 国鉄・JR編 JTB 1998年出版。〕。
* 1985年(昭和60年)3月14日:荷物取扱廃止〔。
* 1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承〔。
* 1988年(昭和63年)4月25日:歌志内線廃止〔。
* 1989年平成元年)8月:駅舎改築〔。
* 1994年(平成6年)5月15日:函館本線上砂川支線廃止〔。
* 2006年(平成18年)10月20日:砂川市が駅周辺地区整備事業で自由通路設置。
* 2014年(平成26年)11月:キヨスク閉店〔深川・滝川・幌向…3駅のキヨスク今春閉店 販売不振で - 北海道新聞〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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