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土井 敏邦(どい としくに、1953年 1月8日- )は中東情勢を主に扱うフリージャーナリスト及び映画監督。佐賀県旧牛津町(現小城市)生まれ〔『佐賀新聞』、2015年2月2日〕、神奈川県横浜市神奈川区在住〔ミャンマー難民の14年間追う、土井監督の記録映画、29日から上映/横浜、2014年7月2日閲覧〕。1971年佐賀県立小城高等学校卒業〔『佐賀新聞』、2015年2月2日〕、1981年広島大学総合科学部卒業。PLO駐日代表部により出版されフォトジャーナリストの広河隆一が編集長であった「フィラスティン・びらーでぃ」〔国立国会図書館、フィラスティン・びらーでぃ 〕と称する月刊誌の中東専門雑誌記者、朝日ジャーナル嘱託記者を経てフリー。日本ビジュアル・ジャーナリスト協会の会員でもある。1985年以来、断続的に延べ5年以上、イスラエルとその占領地(パレスチナ)の難民キャンプや村に滞在して取材を続けている。また、土井はかつて「砥川春樹」というペンネームで執筆活動を行っていた〔【連載】金子遊のドキュメンタリストの眼⑨ 「パレスチナ映画とその社会」土井敏邦さんトーク 〕。なお、土井の年収は100万円未満である〔『中日新聞』、2009年6月3日〕。 また1986年からのべ12カ月間、アメリカ各地でユダヤ人、パレスチナ人を取材し『占領と民衆──パレスチナ』『アメリカのユダヤ人』『アメリカのパレスチナ人』の三部作を完成。 1990年の湾岸危機ではアメリカのユダヤ人社会とアラブ人社会の反応を、また翌年1月の湾岸戦争ではイスラエルで占領地のパレスチナ人とイスラエル国民の反応を取材し『朝日ジャーナル』に連載。3月から2カ月間、NHKスペシャル「アメリカのパレスチナ人」制作をコーディネイト。 1993年のパレスチナ暫定自治合意を機に再びパレスチナのガザ地区の難民キャンプやイスラエル国内に長期滞在し取材、ETV特集「失業と解放の1年-パレスチナ難民エルアグラ家の場合」(1994年)「パレスチナ和平の陰で──ある家族の6年」(1999年)、また「ニュースステーション」の特集で6回にわたって現地報告。 2010年6月5日朝、脳梗塞で入院するが、会話のできる状態。 2015年には従軍慰安婦に関する新作ドキュメンタリー映画の公開や北原みのりらとのトークショーを行った〔記憶と生きるトークショー 〕。 == アジア・国内における活動 == アジアでは、1982年の「教科書問題」を機に在韓被爆者を取材、1991年には韓国民主化運動の元学生指導者たちのその後を、さらに1994年から1998年まで韓国の元慰安婦たちの現状を追い、NHKのETV特集「『分かち合い(ナヌム)の家』のハルモニたち」、NHK・BS特集「戦争・心の傷の記憶」で元慰安婦、姜徳景の半生を描いたドキュメンタリーを制作。 1996年、タイ北部の農村でエイズ孤児を取材しETV特集「タイのエイズ孤児たち」を放映、翌年、ベトナムで性的暴行を受けるストリートチルドレンの少女たちを追い、ETV特集「傷つけられる少女たち-ベトナム・ストリートチルドレン物語」を制作。 1998年からはタイ・ビルマ国境の密林地帯や日本国内で民主化活動を続けるビルマ人青年たちを取材し、ETV特集「密林キャンプからの報告─タイ・ミャンマー国境地帯」を、7月には「在日ビルマ人の民主化活動家・ティンチー」(日本テレビ「きょうの出来事」)を放映。 さらに、日本政府の難民政策を追及した「『難民』が直面するニッポンの壁」「傷つけられる難民申請者たち」(いずれもTBS「報道特集」)「強制送還された難民申請者」(日本テレビ「きょうの出来事」)を制作。 土井は2013年に『異国に生きる』という我が国において生活しているミャンマー人に関するドキュメンタリー映画を横井朋広とともに作成した。そして、その映画は「文化庁映画賞 文化記録映画優秀賞」を受賞した。 また、日本国内に関する映画では、根津公子、佐藤美和子及び土肥信雄という東京都教育委員会の職務命令による君が代斉唱の監視・強制を拒否する3名の教師の姿を記録する映画として2010年に『“私”を生きる』を制作し、その映画は2010年に「座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル奨励賞」を受賞し、2011年には「山形国際ドキュメンタリー映画祭」に正式に出品した〔ドキュメンタリー映画『私を生きる』 〕。そして、東日本大震災及び福島第一原子力発電所の事故に関する映画として2012年に『飯舘村 放射能と帰村』を制作し、「ゆふいん文化・記録映画祭 第5回 松川賞」を受賞した。そして、土井は『飯舘村 放射能と帰村』の英語版としてThe Town of Iitate Radiation and the Return Homeを制作した〔福島原発事故から5年目、映画『飯舘村-放射能と帰村-』 〕。 土井は従軍慰安婦とされた朝鮮人の問題に関しても深い関心を抱き、2015年には『“記憶”と生きる』という従軍慰安婦問題に関するドキュメンタリー映画を制作した〔>ドキュメンタリー映画『記憶と生きる』 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「土井敏邦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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