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「破られた条約のための行進」(1972年10月3日-11月2日)は、アメリカインディアンの権利団体「アメリカインディアン運動」(AIM)が、インディアン部族の生存権と条約遵守を訴えるため、西海岸から合衆国首都ワシントンD.C.まで、自動車による抗議の行進を行ったもの。 ==概要== トーマス・ジェファーソンがインディアンの同化プロセスとして19世紀に始めたインディアン部族との連邦条約交渉は、インディアンに合衆国内務省が権利を保留する「保留地」を領土として「与え」、その管理を内務省BIA(インディアン管理局)に任せることによって、領土と引き換えにインディアンたちに食料や物資などの「年金」を支給し、彼らの生活を保障して自活を援助するというものだった。しかしこれは19世紀末にはインディアン部族の移動の自由を奪い、インディアンの保留地を巨大な収容所と変えた。さらに1934年に、合衆国は「インディアン再編成法」を施行し、各インディアン保留地に、議会制に基づく「部族会議」の設立を義務付けた。AIM女性メンバーのマリー・クロウドッグはこう述べている。 :白人は「偉大なる白い父(大統領)のもと、野蛮で遅れたインディアンにも自分たちの政府を持たせてやろう」との考えで、インディアンの部族に議会制民主主義を持ち込んだのですが、これはとんでもない善意の押し付けでした。カスター中佐のような白人より、“慈善派”を気取った白人のほうがよっぽどたちが悪い。もともとインディアンの社会は、長老や酋長が合議によって方針を決める合議制社会なのです。白人の押し付けてきた制度は、ただインディアンの部族の合議による自治を破壊することに目的があったのです。 部族会議はBIAの管理の下、合衆国に都合のよい、レッド・クラウドのような「白人の砦の周りをうろつくやつら」と呼ばれるような「アンクル・トマホーク」が議長に任命され、実質的な連邦政府の傀儡となって腐敗を極めていた。伝統的な共同体を固持する「伝統派」は、現在でもこの首長制部族会議に反発して部族選挙には関わらない。保留地は「部族会議派」と、合議制に基づく伝統的共同体「伝統派」に二分されたまま、貧困と絶望に取り巻かれ、高い失業率、アルコール依存症と若年層の自殺が全米のインディアン部族の共通する直面問題となっている。 さらに1950年代初頭から、合衆国政府はインディアン諸部族の解消方針を強め、約10年間で100を超えるインディアン部族が連邦認定を取り消され、「絶滅」したことにされていった。なかでも1956年に施行された「インディアン移住法」は、保留地から都市部へインディアンを放逐させるものであり、この法によって多くのインディアン部族はその共同体を破壊された。限界集落化されたインディアン部族に対し、合衆国は連邦条約で保証した権利一切を剥奪して、領土である保留地の保留を解消し、これを没収した。1960年代には、多くのインディアンたちが都市部のスラムに追いやられ、路頭に迷っていた。 この民族的危機の中、1968年にミネソタ州でスラム育ちの若いインディアンたちが結成したインディアン団体「アメリカインディアン運動」(AIM)は、徹底して反「部族会議」の方針を採り、白人によるお仕着せを全否定し、伝統にのっとって髪を伸ばし、インディアンの装飾品を身につけ、「伝統派」と連携して宗教儀式に積極的に参加した。こうしたAIMの、白人社会や「部族会議派」からは急進的、過激とされる抗議行動は、黒人団体の公民権運動とも連携して全米規模に拡がりつつあった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「破られた条約のための行進」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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