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磯崎 千利(いそざき ちとし、1913年(大正2年)1月12日 - 1993年(平成5年)6月20日)は、大日本帝国海軍の軍人、戦闘機搭乗員。 操練19期。最終階級は大尉。 == 経歴 == 愛知県出身。海兵団を経て1933年(昭和8年)3月、操縦練習生課程を修了し、龍驤飛行機隊に配属される。そこでのちに撃墜王となる赤松貞明と知り合い、親交を深める。のち内地に転属し、霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊附教官。この時の教え子の一人に、岩本徹三(操練34期)がいる。 日中戦争(支那事変)勃発後、加賀飛行機隊を経て第十二航空隊に配属されるが、この時よりすでに撃墜王として武名をはせていた赤松や岩本とは異なり、戦線を通じて大きな空戦に恵まれることはなかった。 1941年(昭和16年)10月、台南海軍航空隊(のち第251海軍航空隊に改編)に転属。 太平洋戦争(大東亜戦争)勃発後は南方に進出するが、翌年4月に内地帰還を命じられ、大村海軍航空隊附。18年4月少尉任官。 5月14日、ラバウルの第251海軍航空隊転属となり〔251空の若手士官達 〕、6月16日、初撃墜を記録する。 以降も空中戦で多大な戦果を挙げ、初陣以来5年目にしてようやく武運に恵まれた遅咲きの撃墜王となった〔柱島泊地に眠る戦艦”陸奥” - 鎮魂の旧大日本帝國陸海軍Ⅱ 〕。 19年3月に再び内地に戻り、厚木の第三〇二海軍航空隊、名古屋の第二一〇海軍航空隊と防空任務に就く。 1945年5月、第343海軍航空隊隷下戦闘第301飛行隊分隊長となり、終戦を迎える。1945年8月17日、皇統護持作戦の有志に名を連ねる〔神立尚紀『零戦最後の証言―海軍戦闘機と共に生きた男たちの肖像』光人社NF文庫78-79頁〕が、天皇制は存続が決まったため自然消滅した。 終戦までの総撃墜数は12機。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「磯崎千利」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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