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磯川 勝彦(いそかわ かつひこ、1882年5月15日 - 没年不詳)は、日本の俳優である〔キネマ旬報社、p.46.〕〔''磯川元春''、''jlogos.com'', エア、2012年11月21日閲覧。〕〔''磯川勝彦''、日本映画データベース、2012年11月20日閲覧。〕〔''磯川元春''、日本映画データベース、2012年11月21日閲覧。〕。本名磯貝 子之助(いそがい ねのすけ)、旧芸名磯川 元春(いそがわ もとはる)〔〔〔。 == 人物・来歴 == 1882年(明治15年)5月15日、東京府東京市本郷区春木町(現在の東京都文京区本郷)に生まれる〔〔。父は「沢村源之助」で、磯川が数え年2歳(1883年)で父と死別している〔〔、とされるが、初代から三代目までの「沢村源之助」は江戸時代にすでに死去しており〔, 2012年11月21日閲覧。〕、四代目沢村源之助が亡くなったのは1936年(昭和11年)であり〔, 2012年11月21日閲覧。〕、そのとき磯川はすでに数え年55歳である〔〔。 数え年17歳のときには、父の遺志によって実業に就く〔。しかし磯川は演劇を志して「川上音二郎一座」に参加、翌1899年(明治32年)秋には、満17歳にして『当り的』で東京・新富座の舞台に立った〔。1902年(明治35年)には、「伊井蓉峰一座」に移籍した〔。このころ、のちに子役俳優・磯川金之助となる長男が誕生する。1914年(大正3年)には、「井上正夫一座」に移籍して同座の幹部に就任する〔。新派畑を歩んだ後、大阪に移り、松竹の専属俳優になり、中田正造の「新声劇」、伊川八郎・栗島狭衣の「国精劇」で剣劇の舞台に出演した〔。 満45歳になった1927年(昭和2年)8月、京都に移り、日活大将軍撮影所時代劇部に入社した〔。同年9月15日に公開された辻吉郎監督の『鳴門秘帖 最終篇』に「船大工大助」役で出演し、「磯川 元春」の名で映画界にデビューした〔〔。同撮影所はまもなく太秦に移転し、日活太秦撮影所に引き続き所属、同年10月1日に公開された池田富保監督による大作『建国史 尊王攘夷』では、安藤帯刀を演じた〔。 1932年(昭和7年)5月20日に公開された辻吉郎監督の『沓掛時次郎』以降、「磯川 勝彦」と改名した〔〔〔。組田彰造(久見田喬二)監督の『天兵童子』全4作に出演し、1941年(昭和16年)8月14日に公開された『天兵童子 第四話 甦る力』にクレジットされた満59歳以降の出演記録はなく、消息は不明である〔〔〔。1942年(昭和17年)1月27日、戦時統合によって設立した大映に参加した様子はない〔〔〔。1979年(昭和54年)に発行された『日本映画俳優全集・男優編』によれば、同誌執筆の時点ではすでに死去しているとされている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「磯川勝彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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