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磯部 百鱗(いそべ ひゃくりん、天保7年6月21日〔グレゴリオ暦:1836年8月3日〕 - 明治39年〔1906年〕4月17日)は、伊勢国の日本画家、御師、神官。本名は愛之助、別号に華水。「神都有数の画人」と称され、伊藤小坡ら数多くの門人を育てた〔伊勢市 編(1968):457ページ〕。 == 経歴 == 天保7年6月21日(グレゴリオ暦:1836年8月3日)に代々伊勢神宮の御師を務める「磯部大夫」の家系に生まれる〔宇治山田市役所 編(1929):1350ページ〕。磯部大夫は宇治今在家町に邸宅を構えていた〔。百鱗邸跡は皇大神宮(内宮)前から徒歩4分のところにある。 初め山田宮後町の画家である林棕林に入門し、後に京都へ上り長谷川玉峰に師事する〔宇治山田市役所 編(1929):1348, 1350ページ〕。ここで四条派の流麗な画風を身に付けた〔。また故実を中林竹渓から、俳諧を神風館只青(爲田只青)から学び、久保田米僊、今尾景年、鈴木松年と交友を持った〔。 その後伊勢に戻って伊勢神宮に奉職する傍ら、画家としての活動を続け、京都博覧会で銅牌、東洋絵画展覧会で金牌を獲得し、名声を得た〔。門人に伊藤小坡、江村隆章、川口呉川、鈴木紫陽、田南岳嶂、中村左洲、橋本鳴泉、吉田百僊らがいる〔〔。伊東里きの従妹である伊藤くにゑも百鱗に日本画を学んだ〔里き・源吉の手紙を読む会 編(2011):30ページ〕。 1906年(明治39年)4月17日に〔辞世の句「形こそ消ゆれ命は野に山に」を残し、69歳(数え年で71歳〔)で生涯を閉じた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「磯部百鱗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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