|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 社 : [やしろ] (n) shrine (usually Shinto) ・ 社会 : [しゃかい] 【名詞】 1. society 2. public ・ 会 : [かい] 1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club
社会タイムス(しゃかいたいむす)は、日本社会党左派系の政治新聞。当初、左派社会党の機関紙として創刊されたが、わずか2年で経営にいきづまり、その後、関西で一部の活動家の手によって1995年まで発刊され続けた。 ==日刊社会タイムス== 1952年、社会主義政党に日刊の機関紙が必要であると考えた江田三郎が中心となって、創刊された。左派社会党とは独立した形で発行するため、党とは別に社会タイムス社という会社をつくって創刊されている。社会タイムス社の社長には小説家の青野季吉が据えられ、江田は専務におさまった。他に、清水幾太郎が取締役に就任したり、田宮虎彦が小説を連載、加藤芳郎が漫画を担当するなど、当時の進歩的知識人も多くが協力した。記者には、分裂前に社会党の機関紙の記者をしていたもののほかに、レッドパージによって新聞社を追い出された記者が新たに雇われた。(イデオロギーに固執しない江田の口利きで) 社会タイムスはレッドパージされた腕の良い記者が執筆したため、紙面の面白さで、飛ぶように売れたという。(発行部数・十数万)論調は、逆コースや再軍備に反対し、非武装中立を求めるもので、左派社会党の方針に基づいていた。また商業紙ではあまり取り上げられない社会運動の動向を多く掲載することが創刊号において抱負として語られていた。レッドパージ組の記者の中には、勝手に日本共産党の見解を載せるものもあり、左派社会党内では度々問題視された。 新産別の細谷松太が「左派社会党に日刊機関紙は時期尚早。すぐに行き詰まる」と予言したように、執筆陣の意気込みとは裏腹に経営の危うさは当初から懸念されていた。そして、細谷の予言どおり、経営はすぐに行き詰った。なぜならば、社会タイムス社が販売を委託した左派社会党の支部や労組は、社会タイムス社が新聞をただでくれていると思い、無料で党員や組合員に新聞を配って、購読料を徴収しようとはしなかったからである。こうして売掛金の回収の失敗から社会タイムス社はわずか2年で倒産した。あとには莫大な借金が残ったが、太田薫はこの借金は、左派社会党幹部だった和田博雄に押し付けられたと主張している。一方、左派社会党関係者は、社会タイムス社の借金は総評と社会党再統一によって不要となった左派社会党の事務所を売却して返したと主張している。 とにかく、はっきり言える事は、社会タイムス社の倒産によって、機関紙日刊化の旗振り役だった江田三郎に対する左派内の信頼感が低下したということである。このことは後の構造改革論争の際に、江田に悪い影響を与えることになる。 その後、1957年に東京では社会タイムスを復活させるため、社会タイムス新社が設立され、週刊で社会タイムスが発行されたが、うまくいかず1960年にはつぶれてしまった。なお、このときの編集長は清水慎三だった。 社会タイムスの失敗は、社会党、特に左派に機関紙活動への積極性を長く失わせることになった。1970年代に社会主義協会派の山本政弘が社会党機関紙局長となった時、山本らは社会タイムスの例を引いて、機関紙活動は定期配布・紙代回収までが任務と繰り返し強調した。山本機関紙局長時代の「社会新報」大幅拡大、累積赤字解消は、社会タイムスの教訓があったからともいえる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「社会タイムス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|