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社会主義協会(しゃかいしゅぎきょうかい)は、社民党の前身にあたる旧日本社会党において、労農派マルクス主義を掲げて発足された最左派・理論研究集団。一時は、旧社会党内の最有力派閥として、同党の路線に大きな影響を与え続けてきた。旧社会党系勢力の中で単に「協会」と言うときは、ふつうこの社会主義協会を指す。 == 歴史 == === 前史および創立初期 === 社会主義協会の前身は、第二次世界大戦前から講座派(現在の日本共産党系)とマルクス主義の日本での適用や資本主義の性格をめぐる論争(日本資本主義論争)を続けた労農派である。1927年創刊の雑誌『労農』に拠ったのでこの名がある。太平洋戦争前夜の弾圧(人民戦線事件)で四散したが、日本敗戦後、山川均のもとに再結集し、1947年、理論誌『前進』を創刊した。『前進』は1950年11月に出版社の経営事情と同人間の対立が原因で廃刊となった。その1年前の1949年7月13日に『前進』の同人たちが集まって、社会主義研究会を創設した。1951年4月13日、この社会主義研究会を発展させる形で創設されたのが、社会主義協会である。『前進』に代わる機関誌の発刊も決定され、『社会主義』が創刊された。命名は、大内兵衛である。社会主義協会には、当初、知識人として大内兵衛のほか、山川均、向坂逸郎、高橋正雄らが参加し、江田三郎ら日本社会党の政治家や総評系の労組幹部も多数参加した。しかし、『社会主義』の創刊に総評の高野実の力を借りたためか、『社会主義』初期の編集方針には高野実の意向が大きく働いていた。『社会主義』の同人代表には大内兵衛と山川均が就任した。創刊当時の『社会主義』の発行部数は約3500部だった。 まもなく、左社綱領草案やそれに対する清水試案の扱い、協会の日常運営をめぐって、山川均らと高野実の対立は覆いがたいものとなり、1953年12月高野実、清水慎三らは社会主義協会を脱退した。その後、社会主義協会は山川均らと太田薫らの総評反高野グループが結びつき、社会党左派の理論的支柱として発展していく。この左派優位の社会党の路線を、日本型社会民主主義と呼ぶ見解もある。社会主義協会は、1950年代には様々な思想の持ち主を内包していた。ソ連・東欧の既存の社会主義国に対しても鋭い批判を向けており、1953年の東ベルリン暴動や1956年のポズナン暴動・ハンガリー動乱に対しては、反乱を起こした民衆に同情的で、ソ連の占領政策などを鋭く批判していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「社会主義協会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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