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祀三公山碑(しさんこうざんひ)とは、中国の後漢代、元初4(117)年に建てられたと見られる顕彰碑。隷書が公式書体であった漢代にあって、極めて珍しい篆書による碑である。 碑の現物は現在行方不明で、拓本のみが伝わっている。 ==建碑の事情== 碑文によれば、元初4(117)年に隴西の馮という人が常山(現在の河北省)の長官である常山相に着任し、この碑の立てられた元氏県にやって来た。しかし、元氏の地はいなごや旱魃の害に見舞われ、ひどく荒廃してしまっていた。 聞けばこの常山の西の奥にある三公御語山という山には霊験あらたかな雨の神がいて、人々はこの神を祀ることで雨乞いをしていた。しかし最近、異民族である羌がたびたび侵入して来たり天災が連発したりしたために人々に余裕がなくなり、祭祀が行き届いていなかったというのである。 この話からいなごの害や旱魃はそのせいであろうということになったものの、三公御語山はあまりに奥地にある上悪路で行くことすら容易ではなく、現地まで行って祀るのは極めて難しかった。そこで馮は一計を案じ、元氏の東にある衡山という山で占いを行い、神殿を設置して三公御語山の神を勧請し祀ることにした。 するとたちまちのうちに雨が降り始め、元氏は飢饉から解放されて五穀豊穣となり、民も苦しむことがなくなった。このことと馮の機転を顕彰するため、常山および元氏の官吏たちが碑を建てることにした。これが「祀三公山碑」である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「祀三公山碑」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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