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祖堅 方範(そけん ほうはん、1891年5月25日 - 1982年11月30日)は、戦前から戦後にかけて活躍した沖縄の空手家。少林流松村正統の開祖。 == 経歴 == 祖堅方範は1891年(明治24年)、沖縄県西原村我謝(現・西原町字我謝)に生まれた。母カミーは首里手の大家・松村宗棍の孫娘に当たり、祖堅方範は12歳頃より母の兄で伯父であるナビータンメー(翁)に唐手(現・空手)を師事した。松村宗棍の長男、自由党タンメー(通称)はもっぱら政治活動を行い、唐手はしていなかったので、ナビータンメーは宗棍から唐手を習ったとされる。祖堅は1918年(大正7年)までナビータンメーに師事した。その後、祖堅は西原の伊保の浜に住む米須ウシータンメーより、琉球古武術を学んだ。 1924年(大正13年)、祖堅は那覇の大正劇場で行われた唐手大演武会に、本部朝勇、喜屋武朝徳らと共に出演した。この大会は沖縄全島から総勢40名を超える唐手家が集まり、出演した大規模なものであった。同年、祖堅はアルゼンチンのブエノスアイレスへ移住した。最初は写真家の仕事をし、後にはクリーニング店を営んだ。1952年(昭和27年)、沖縄に帰郷した。 1956年(昭和31年)頃、祖堅は自らの流派を少林流松村正統空手道と命名した。1959年(昭和34年)沖縄空手道連盟理事に就任、1961年(昭和36年)6月、上原清吉(本部御殿手)、島袋龍夫(一心流)、島袋善良(少林流聖武館)、仲井間憲孝(劉衛流)、比嘉清徳(武芸館)らと、沖縄古武道協会(後、全沖縄空手古武道連合会)を結成した。同年11月、第一回沖縄古武道発表大会(於・那覇劇場)に出演、鎌の演武を披露した。 1982年(昭和57年)11月30日、死去した。享年91。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「祖堅方範」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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