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祇園四条駅〔「ネ+氏」の表記が正式である件については、 を参照。〕(ぎおんしじょうえき)は、京都府京都市東山区にある、京阪電気鉄道京阪本線の駅。地元の人は、当駅を含めた周辺地区を四条京阪と呼ぶことが多い。駅番号はKH39。 == 歴史 == 1915年・京阪線の三条駅への延伸に伴い開業、京都市電四条線が先に開通していたために平面交差が設けられた。当初は上下線とも四条通の北側に相対式のホームを設けていた(びわこ号が写った戦前の写真を参照。写真の右側が北)。のちに、上りホームを四条通南側に移設し、三条行・天満橋(淀屋橋)行共に四条通の手前で停車する千鳥配置に変更された。さらにその後、後述する地下化工事の進捗に伴い、今度は下りホームを四条通南側に移設して再び相対式ホームとなり、その状態で地下化工事の完成を迎えた。 1935年の「鴨川水害」では鉄筋コンクリート製アーチ橋の四条大橋に、上流より流された木製の三条大橋などの残骸が引っかかり鴨川を堰き止め、あふれた水が四条駅や周辺に大きな被害を与えた〔四条駅周辺の被災写真 〕。この後に鴨川の洪水対策として川底を掘り下げ、四条大橋は1942年(昭和17年)に橋脚タイプの現在の橋に架け替えられた〔京都市発行 市民しんぶん東山区版「こちら東山」平成21年7月15日号の「東山区【2】〜過去から未来へ〜」 〕〔1890年代の京都・四条大橋 - 『OLD PHOTOS of JAPAN』より〕。併せて「京阪線を地下化して鴨川を拡幅する」との計画が作成されたが、折からの日中戦争からの戦時体制で計画は縮小され、鴨川の川底の掘り下げと堰の設置が1947年まで続けられた〔参考文献・鉄道ピクトリアル1984年1月増刊号「特集 京阪電気鉄道」中P78『京都市内の地下化工事の経過と今後の予定』1)戦前の計画・種村善博著「京都の治水と昭和大水害」文理閣刊〕。 鴨川べりの京阪線の地下化は頓挫したかに思われたが、1960年代末からのモータリゼーションに伴い京阪線の踏切が東西交通の妨げになることや、東大路通・河原町通の混雑緩和となる川端通の建設計画と鴨東線の地下鉄道による新設計画が持ちあがり、京阪線の地下化が1975年10月に都市計画決定された。この計画は1977年6月に事業認可されて1979年3月に着工し〔鉄道ピクトリアル『特集 京阪電気鉄道』P.78「京都市内の地下化工事の経過と今後の予定」(電気車研究会、1984年1月増刊)〕、1987年5月に地下化が完了した。同年7月には付帯工事区間で集中豪雨により四条駅北側の白川から地下線に大量の水が流れ込み1日運休する被害が発生している〔京都新聞1987年7月15日付夕刊・同16日付朝刊。〕。翌年5月にすべての付帯工事も完成し、地上線路跡に川端通が開通した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「祇園四条駅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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