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祝 一平(いわい いっぺい、本名:三上之彦、生年月日不詳 - 1999年4月2日)は、満開製作所の創業者で、それ以前からテクニカルライター(テクニカルアドバイザー)やコラムニストとして活躍していた。ペンネームは、祝というリンゴをイッパ(ペ)イ食べたい、に由来する。 == 来歴 == 日本ソフトバンク出版事業部(現・SBクリエイティブ)の雑誌『Oh!X』およびその前身の『Oh!MZ』(1982年創刊)でテクニカルライターとして活躍。『Oh!MZ』時代は、当初は山本 寛(やまもと ひろし)というペンネームで、「シャープに爆弾を仕掛ける会」を連載。祝一平に改名し「試験に出るX1」を連載した。『Oh!X』では「皿までど~ぞ」、「人類タコ科図鑑」、「C調言語講座PRO-68K」を連載した。連載の他に単発記事やゲームのレビューなどもあった。特にシャープのX1シリーズ、X68000シリーズに関する寄稿が多い。パソコンとは直接関係のないエッセイの寄稿も行っていた。 1986年、『満開2号』というオリジナル設計のパソコンを開発するという目的で、有限会社満開製作所を創立(後に株式会社に改組)。 1988年、フロッピーディスクを媒体とした雑誌『月刊電脳倶楽部』(X68000シリーズ用)を創刊。X68000のサードパーティーとしてX68000文化を支えた。電子メディアとしての電脳倶楽部、及び、電脳倶楽部で採用されていたドキュメントブラウザシェルLOOKは多くのフォロワーを生み、それまで紙媒体中心だったパソコンサークルにディスクマガジンという新たなコミュニケーション形態をもたらし、X68000独自のディスクマガジンサークル文化の隆盛につながった。 1993年、新機種X68030登場の際に『Oh!X』に寄稿している。1990年代中盤頃よりライターとしての活動は減り、電脳倶楽部の「変酋長の小屋」という日記風のエッセイのみとなった。 1998年には病気療養を理由に満開製作所の社長を辞任。 1999年4月2日に逝去。死因は明らかにされていない。遺稿は『Oh!X 1999春号』に掲載された「拡張電脳学入門講座 清く正しく21世紀」。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「祝一平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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