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神のみ子は今宵しも (Adeste Fideles) は、イングランド人のジョン・フランシス・ウェードの作曲とされる讃美歌である。しかし、はっきりした作曲者はわかっておらず、今も論争が続いている。歌詞も、誰の手になるものかがはっきりしないが、13世紀にジョン・オブ・レディングによって書かれていたのではないかと言われている〔Christmas With Love by Jaci RAe - Lyrics to Adeste Fideles - Oh Come All Ye Faithful 〕。幾度となく様々な言語に翻訳されたが、イングランドカトリック教会の聖職者であるフレデリック・オークリーによる英語訳が特に広まって行った〔Oakeley 1802-1880 Frederick Oakeley 〕。 ==概要== ウェードが出現する前には、この讃美歌の作曲者は、ジョン・オブ・レディングとその息子、ヘンデルに、また、ポルトガルの作曲家であるマルコス・アントニオ・ダ・フォネスカも名を連ねていた〔。歌詞も、長い間作者がはっきりしておらず、作者とされる人々の中には13世紀の聖ボナヴェントゥラや17世紀のポルトガル王ジョアン4世も含まれていた〔Adeste Fideles: A Study On Its Origin and development 〕。しかし一般には、シトー会の修道士たち、あるいは、ドイツや、ポルトガルや、スペインの修道士会により書かれたという説が信じられていた。 現存する最古の原稿は、歌詞と譜面が一緒に書かれている。ウェードは、1751年に刊行した ''Cantus Diversi'' と、1760年に刊行された ''Evening Offices of the Church'' にこの曲を取り入れている〔。また、サミュエル・ウェッブが1782年に発表した ''An Essay on the Church Plain Chant'' にもこの曲が見られる。 オリジナルの歌詞はラテン語で4節あり、最初に刊行された時も第4節までだった。18世紀にフランスの神父エティエンヌ・ジャン=フランソワ・ボルデリエが新たに3節を書き加えた、この3節は、全7節のうち、第3節から第5節までの歌詞として印刷された。その一方で、作者のわからない、殆ど発表もされていないラテン語の節が新しく加えられた。この讃美歌は数え切れないほど出版を重ねたが、現在最も歌われているのは英語の ''"O Come, All Ye Faithful"'' である。これはオークレイの元々の4節の英語訳と、ウィリアム・トマス・ブルックがあとから足した3節が一緒になったもので、1852年の ''Murray’s Hymnal'' に初めて登場する。 1954年の讃美歌111番。クリスマスの時期に歌われる定番の讃美歌として、日本でもよく知られている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神の御子は今宵しも」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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