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神保 茂明(じんぼう しげあきら〔「寛政重脩諸家譜. 第7輯」 による。本文は157頁。コマ番号は89頁。〕、慶長16年(1611年) - 元禄4年7月21日(1691年8月14日))は江戸時代の旗本。初名は茂安(しげやす)、茂武(しげたけ)〔。通称は大学、左京〔。号は一洞、法名は心厳〔。神保相茂の子〔。妻は松平正綱の娘、後妻は松平重則の娘〔。子は元茂、茂知、ほか女子2人〔。 ==生涯== 元和元年(1615年)に大坂夏の陣で父神保相茂が戦死した〔。外祖母(杉若越後守某の妻)は、茂明と共に本多正信に連れられて父の戦死を言上した〔。その後駿府に呼び出され、日光東照宮の父の墓に参っている〔。次に江戸に移り住み、徳川秀忠に仕えた〔。寛永2年(1625年)には7000石を賜った〔。寛永11年(1634年)に徳川家光が上洛した際は、あらかじめ京都へ上洛した〔。寛永17年(1640年)には甲府城の守備を命じられ、しばらくこれに従った〔。慶安3年(1650年)に大安宅船の修理奉行に指名され、寛文2年(1662年)にはこの修理の褒美として羽織を賜った〔。天和2年(1682年)に致仕〔。 元禄4年(1691年)に死去、享年81。谷中大行寺に埋葬された〔。大行寺はのちのち神保氏の菩提寺となる〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神保茂明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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