|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 神 : [かみ] 【名詞】 1. god ・ 南 : [みなみ] 1. (n,vs) South 2. proceeding south ・ 合 : [ごう] 【名詞】 1. go (approx. 0.18l or 0.33m) ・ 合戦 : [かっせん] 【名詞】 1. battle 2. engagement ・ 戦 : [いくさ] 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight
神南の戦い(こうないのたたかい)は、南北朝時代の観応の擾乱における合戦の一つ。1355年(南朝:正平10年/北朝:文和4年)2月、摂津国神南(大阪府高槻市神内)において、足利尊氏方の足利義詮の軍勢と、足利直冬方の山名時氏の軍勢との間で行われた合戦である。 == 概要 == 1351年(正平6年/観応2年)観応の擾乱により北朝は足利尊氏派と足利直義派に分裂し、激しい戦いを繰り返した。直義の養子足利直冬は、直義死後は中国地方に勢力を広げていたが、1354年(正平9年/文和3年)山名時氏、桃井直常、斯波高経ら旧直義派武将、南朝方の楠木正儀と共に上京作戦を開始した。足利尊氏は京都での戦いを不利と判断し、後光厳天皇を伴って近江国武佐寺へ退去。翌1355年(正平10年/文和4年)1月に足利直冬は桃井、斯波ら北国勢を伴って入京した。足利義詮は当初播磨国で戦っていたが、山崎の西、神南の峰に布陣。これに対し直冬方の山名時氏・山名師義らが攻撃を行なったが、佐々木道誉、赤松則祐らの奮戦により山名勢は敗退した。その後、直冬は東寺に拠って戦闘を継続したが、尊氏・義詮が率いる軍により敗退。3月、直冬方は京都から撤退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神南の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|