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神奈川奉行(かながわぶぎょう)は、江戸幕府の役職。旗本が任じられる遠国奉行の一つ。神奈川奉行所(かながわぶぎょうしょ、奉行役所)で執務した。 ==概要== 神奈川奉行は、横浜港が開港された安政6年(1859年)に設置された役職である〔横浜港の開港は安政6年6月2日(1859年7月1日)で、横浜市では6月2日を開港記念日としている。〕。同年6月4日(同年7月3日)、開港場建設の事務に当たっていた外国奉行の酒井忠行・水野忠徳・村垣範正・堀利煕・加藤則著の5名に神奈川奉行兼帯の命が下った。5名は輪番で神奈川奉行の職務を行った。 設置当初の神奈川奉行は、青木町(神奈川県横浜市神奈川区青木町)に会所、戸部村宮ヶ崎(同西区紅葉ヶ丘、現・神奈川県立青少年センター)に奉行役所を置き、また、横浜村(同中区日本大通、現・神奈川県庁付近)の波止場近傍に運上所を置いて事務を執った。奉行役所は戸部役所と呼ばれて内国司法・行政の事務を取り扱い、運上所では関税及び外務全般の事務を取り扱った。万延元年(1860年)に神奈川奉行は専任となり、松平康直・都筑峰暉の2名が任命された。神奈川奉行所の役人の人数は、時期によって変動があるものの、同心や足軽などを含めれば最大時で1000人を超えたとされる〔開港場物語(16)武家町だった野毛 奉行所核に役人住む 、『読売新聞』、2009年5月30日閲覧。〕。また、兼任職時代から廃止までの奉行職には計22名の幕臣が登用され、奉行並職についても5名、支配組頭14名、支配定番役取締4名、支配調役21名が任命されている〔「神奈川奉行所関係資料について」(『開港のひろば』第37号、2002年4月、横浜開港資料館〕。 慶応4年/明治元年3月19日(1868年4月11日)、明治政府は神奈川奉行所を廃止して新たに横浜裁判所を置き、運上所・戸部役所の業務を引き継がせた〔神奈川県史では、横浜裁判所が設置された慶応4年3月19日を立庁記念日としている。〕。奉行所の新政府への引き渡しは奉行並の依田盛克がつとめた。横浜裁判所は、同年4月20日(同年5月12日)には神奈川裁判所、同年6月17日(同年8月5日)には神奈川府へと名称変更され、同年9月21日(同年11月5日)には神奈川県に名称変更された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神奈川奉行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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