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神奈川往還(かながわおうかん)は、現東京都八王子市周辺と同神奈川県横浜市を結んだ道。八王子八十八景のひとつ。別称として浜街道、武蔵道、絹の道があるほか、横浜側では八王子街道とも呼ばれる。経路は現在の町田街道および国道16号に相当する。 == 概要 == 従来より八王子周辺は多摩郡や甲州・武州各地で生産された生糸の集積地となっており、この生糸を江戸や多摩郡の各地域へと出荷していたが、1859年(安政6年)に横浜港が開港すると、海外への生糸の輸出のため横浜方面へも出荷が行われるようになり、浜街道と呼ばれるようになった。これにより、従来よりも多摩郡と横浜方面との往来が盛んになり、後に絹の道とまで呼ばれるほど発展するようになる。 この浜街道は、現在の町田市相原町字坂下付近と町田市鶴間字大ヶ谷戸付近までの間で二通りの経路に分かれており、ひとつは主流であった現在の町田街道の経路である。八王子を出発し鑓水峠を越えたところで武蔵国多摩郡の相原村(現町田市)に入り、境川の東側(武蔵国内)となる同郡原町田村を中継地として抜け、鶴間村(以上、現東京都町田市)、都筑郡今宿村(現神奈川県横浜市旭区)などを経由して横浜港へ向かっていた。 もうひとつの経路として、相原村(現在の相原坂下交差点付近)で分岐して境川を渡って相模国高座郡橋本村に入り、同郡の淵野辺村、上鶴間村(以上、現神奈川県相模原市)、下鶴間村(現神奈川県大和市)などを経由した後に再び境川を渡って武蔵国多摩郡の鶴間村に入ったところで上記の経路と合流する現在の国道16号に相当する経路がある。但し、上記の原町田を抜ける経路のほうが発展していたことや距離が近かったことなどから、もっぱら裏街道のような存在であった。こちらは後に国道16号(東京環状)として発展することになる。 かつての浜街道の名残は八王子市鑓水、町田市小山町、町田市原町田(町田駅周辺)のほか、町田市鶴間(横浜町田IC付近)から横浜市旭区川井宿・今宿・鶴ヶ峰周辺までにかけての国道16号線旧道区間に見られる。一方相模国を経由するルートでは、第二次世界大戦時に相模原都市建設計画(いわゆる「軍都計画」)が持ち上がり、都市整備によって全く違う道へと姿を変えてしまったため、相模原市内では淵野辺付近から上鶴間付近までの旧16号線と呼ばれる道路や、村富神社付近、西門(相模原)から氷川町までの道路〔元の街道は矢部・相模原の各区域内でほぼ当時のルートのまま残されているが、街道沿いの矢部新田・清兵衛新田の旧新田集落とともに完全に周囲の市街地に埋没している。「旧道」のうち、淵野辺駅南側の鹿沼台から氷川町にかけての区間は軍都計画による区画整理で新設された街路であり、概ね元の街道のやや北側を通過している。〕、そして橋本駅北口周辺に見られる程度である。 そして、明治時代に入り1908年(明治41年)に街道と並行して横浜鉄道(現JR横浜線)が開通すると、この街道は生糸の運搬という役割を譲り、後に原町田側の経路は市街地の主要道路として、高座郡側の経路は重要な国道として更なる発展を遂げていくことになる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神奈川往還」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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