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神尾光臣 : ミニ英和和英辞書
神尾光臣[かみお みつおみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かみ]
 【名詞】 1. god 
: [お]
 【名詞】 1. tail 2. ridge 
: [ひかり]
 【名詞】 1. light 

神尾光臣 : ウィキペディア日本語版
神尾光臣[かみお みつおみ]

神尾 光臣(かみお みつおみ、安政2年1月11日1855年2月27日) - 1927年(昭和2年)2月6日)は、日本の陸軍軍人華族東京衛戍総督青島守備軍司令官第9師団第18師団長等を歴任し、階級は陸軍大将勲一等功一級男爵に至る。
== 経歴 ==
信濃国諏訪郡岡谷村(現・岡谷市)に諏訪藩士・神尾平三郎の次男として生まれ、1874年(明治7年)10月、陸軍教導団に入る。1876年(明治9年)2月、教導団を卒業し陸軍歩兵軍曹に任官。1877年(明治10年)1月から西南戦争に従軍し、7月曹長、10月少尉試補に進級する。1879年(明治12年)2月1日、西南戦争の戦功により陸軍少尉に進み、1882年(明治15年)4月には陸軍中尉を命ぜられる。同年7月から参謀本部出仕の身分で清国に渡る。1885年(明治18年)8月、陸軍大尉に進級し、1886年(明治19年)2月に帰国する。同年4月、歩兵第11連隊中隊長を拝命し、1888年(明治21年)5月、参謀本部出仕に移り、1889年(明治22年)12月から参謀本部第2局員となる。1891年(明治24年)12月、陸軍少佐に昇進し、歩兵第1連隊付となる。
1892年(明治25年)4月28日から後の駐在武官にあたる清国公使館付を拝命する。1894年(明治27年)8月17日に帰国し同年10月から第2軍情報主任参謀として日清戦争に出征する。1895年(明治28年)1月、陸軍中佐に進級し、同年6月2日から再び清国公使館付となる。1897年(明治30年)10月11日、陸軍大佐進級と共に近衛歩兵第3連隊長を命ぜられる。
1899年(明治32年)2月には参謀本部出仕の身分でヨーロッパに出張する。1900年(明治33年)4月、第1師団参謀長に就任し、同年7月の参謀本部付を経て、1901年(明治34年)2月、第10師団参謀長を命ぜられる。1902年(明治35年)5月、陸軍少将に進級し歩兵第22旅団長を命ぜられる。1904年(明治37年)8月、遼東守備軍参謀長に就任し、1905年(明治38年)6月から大本営附を命ぜられ、同月中に清国駐屯軍司令官を拝命する。1906年(明治39年)11月、関東都督府参謀長に移る。1907年(明治40年)11月、近衛歩兵第1旅団長を経て、1908年(明治41年)12月、陸軍中将に進級、第9師団長に親補される。
1912年(大正元年)12月、第18師団長に移り、第一次世界大戦では1914年(大正3年)に青島攻略を指揮しこれを攻略、同年11月から青島守備軍司令官となる。1915年(大正4年)5月、東京衛戍総督を命ぜられ、1916年(大正5年)6月、陸軍大将に進む。同年7月歴戦の功から男爵の爵位を授けられ華族に列せられる。同8月待命となり、1917年(大正6年)8月6日依願により予備役編入〔『官報』第1505号、大正6年8月7日。〕。1921年(大正10年)4月の後備役を経て1925年(大正14年)4月に退役する。1927年(昭和2年)2月6日薨去。墓所は東京都豊島区南池袋雑司ヶ谷霊園

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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