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神山 閏次(かみやま じゅんじ、1870年11月7日(明治3年10月14日)〔『人事興信録』第5版、か152頁。〕 - 1943年(昭和18年)3月8日〔『朝日新聞』(東京本社発行)1943年3月10日朝刊、4面の死亡広告より。〕)は、日本の内務・農商務官僚。官選群馬県知事、錦鶏間祗候。 ==経歴== 熊本県出身。熊本藩士・神山譲の長男として生まれる〔『新編日本の歴代知事』289頁。〕。第一高等学校を卒業。1895年、帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し県治局属となる〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』175頁。〕。 1896年5月、青森県参事官に就任。以後、司法大臣秘書官兼司法省参事官、衆議院書記官兼内務省参事官、農商務大臣秘書官兼衆議院書記官兼農商務省参事官、農商務省水産局長などを歴任〔。 1908年8月、群馬県知事に就任。1910年に前橋市で関東東北の各府県が参加した共進会が開催された。1912年3月、知事を休職となる〔。同年12月、鉄道院理事に就任し〔、1913年3月17日に依願免本官となり退官した〔『官報』第188号、大正2年3月18日。〕。 その後、露領水産組合長、海外興業 (株) 社長を務めた〔。1918年6月21日、錦鶏間祗候に任じられた〔『官報』第1766号、大正7年6月22日。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神山閏次」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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