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神崎 健二(かんざき けんじ、1963年12月8日 – )は、将棋棋士。和歌山県和歌山市出身。灘蓮照九段門下。棋士番号は179。 ==棋歴== 中学1年の時、アマチュア名人戦の和歌山県大会に出場して予選敗退。そのとき灘蓮照と出会った縁で、中学2年の終わり頃、灘門下の7級として奨励会に入会する。奨励会時代は地元・和歌山の中学校・高校に通いながら、大阪の関西将棋会館に出向いて記録係を務めた。奨励会在籍の10年間で取った記録は、301局にも上る。二段のとき、第6回「若駒戦」の決勝(東西決戦)で石川陽生に勝ち優勝。2年後の同棋戦では、羽生善治に敗れて準優勝。奨励会の通常の対局以外に新聞(大阪新聞)に掲載される将棋を指せたことは、励みにも自信にもなったという〔「自戦記5」(神崎健二公式サイト) 〕。 同じ関西奨励会には、6歳年下で入会が7年遅い村山聖がいた。神崎と村山が三段の頃に、「(関西からの)次の四段は村山」という予想がされたことで奮起し、9連勝の規定で四段昇段〔新進棋士奨励会に三段リーグの制度がない時代であった。〕。一方、村山も13勝4敗の規定で、神崎と同日付で四段となった〔以上、「将棋世界」2000年1月号付録から一部引用した。〕。 C級2組順位戦では、初参加から3、4期目で2年連続8勝2敗の好成績を収めるが昇級できず、7期目に9勝1敗でC級1組に上がる。この頃から、王位戦で度々リーグ入りするなど、タイトル戦予選の上位でも活躍する。第34期(1993年度)王位戦では、紅組リーグで羽生善治と同点でプレーオフになったが、惜しくも敗退。 1998年度のC級1組順位戦では、勝てば昇級という最終局で負けて8勝2敗となり、B級2組昇級を逸する。このときの昇級者は、9勝1敗の三浦弘行と深浦康市であった(深浦が逆転昇級)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神崎健二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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