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神崎安隆 : ミニ英和和英辞書
神崎安隆[かんざき やすたか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かみ]
 【名詞】 1. god 
: [みさき]
 (n) cape (on coast)

神崎安隆 : ウィキペディア日本語版
神崎安隆[かんざき やすたか]

神崎 安隆(かんざき やすたか、1932年8月24日 - 1985年)は、広島県出身のプロ野球選手捕手)。
1952年別所毅彦完全試合を阻止した安打はプロで唯一の安打。
== 来歴・人物 ==
広島県の盈進商業学校(現・盈進高等学校)で箱田淳の1学年下、土屋弘光と同期。同校卒業後、1951年松竹ロビンスに入団。現役選手ながらブルペン捕手としての役割を果たし、同年に高卒ルーキーとして一軍戦出場を1試合経験していた。
1952年6月15日の対読売ジャイアンツ戦(大阪球場)で、松竹は別所毅彦に9回2死まで一人の走者も出さない完全試合ペースで抑えられていた。そこで監督の新田恭一から指名された神崎は片山博に代わる代打で登場し、カウント2ストライク3ボールから遊撃手前へゴロを転がした。神崎は一塁へ全力疾走し、平井三郎からの送球より一瞬早く一塁を駆け抜けて内野安打としてプロ入り初安打と共に、別所の完全試合を阻止した。この安打が、神崎にとってプロ野球選手として最初で最後の安打だった。なお、18試合に出場した同年が、神崎にとって最も出場試合数の多いシーズンとなった。
1953年、合併により大洋松竹ロビンスに移籍したが、一軍での出番は無かった。1954年、故郷の球団である広島カープに移籍し、2試合に出場したが、同年限りで引退した。
引退後はプロ野球から離れ、小学生にソフトボールを教えるなどの活動をしていたが、病気のため1985年に53歳で死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「神崎安隆」の詳細全文を読む




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