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神崎製紙株式会社(かんざきせいし)は、かつて存在した日本の大手製紙会社である。 王子ホールディングスの前身にあたり、同社神崎工場(兵庫県)・富岡工場(徳島県)を運営していた。1948年設立で、塗工紙などの印刷用紙やノーカーボン紙・感熱紙などの情報用紙を中心に事業を展開。1993年に王子製紙(2代目)と合併し、新王子製紙株式会社となった。 紙パルプ業界では、売上高ベースで国内第8位(1991年度時点)〔上から王子製紙、本州製紙、十條製紙、大昭和製紙、山陽国策パルプ、大王製紙、三菱製紙、神崎製紙の順。〕の大手企業であった〔「紙・パルプ大手、7社が減収減益 大昭和製紙は2期連続で経常赤字」、1992年5月30日付朝日新聞朝刊〕。 == 沿革 == === 設立と神崎工場の再建 === 1948年に設立された神崎製紙が最初の生産拠点としたのが、兵庫県尼崎市の神崎工場である。ここは太平洋戦争前は王子製紙(初代、以下旧王子製紙)の工場であった。 旧王子製紙神崎工場の起源は、1894年に設立された真島製紙所である。大阪製紙株式会社、野田製紙所を経て、1915年に、当時の大手製紙会社富士製紙株式会社に買収され、同社神崎工場となった〔社史合併各社編、p220〕。富士製紙時代の1922年、神崎製紙にも引き継がれることになるアート紙(塗工紙の一種)の生産を開始、その後国内におけるアート紙生産の主力工場に発展していく。1933年、富士製紙は旧王子製紙と合併した〔社史合併各社編、pp221-223〕。 旧王子製紙から神崎製紙として独立した契機が、戦災である。1945年6月15日、神崎工場は空襲(大阪大空襲)に遭い、事務所などのごく一部の施設を除いて焼失、工場としての機能を喪失した。まもなく終戦となるが、工場復旧の妨げとなったのが、旧王子製紙が財閥解体の対象になったことである。実際に1949年旧王子製紙は過度経済力集中排除法により解体されるが、そこに至る流れの中では王子による神崎工場の再建は困難であるとみられた〔社史合併各社編、pp223-225〕。 神崎工場の復旧は、旧王子製紙より分離するという条件で連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) が許可したため、条件に沿って1948年9月、受け皿となる新会社・神崎製紙株式会社が設立された。神崎製紙は旧王子製紙から神崎工場を買収し、会社設立の翌月からアート紙の生産を再開する。さらにアート紙原紙である上質紙の生産を1949年に再開、その原料であるパルプの生産も同年再開した〔社史合併各社編、pp226-232〕。その後生産規模は順次拡大され、紙を生産する抄紙機(マシン)は1954年までに6台に増強されている。また同年キャストコート紙の生産も開始している〔社史合併各社編、pp236-237〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神崎製紙」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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