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神戸まつり(こうべまつり)とは、神戸市の財政援助団体である神戸市民祭協会が主催し、1971年(昭和46年)に市民参加型の画期的な祭りとして誕生した〔第45回神戸まつり公式サイト 〕。兵庫県神戸市の中央区三宮を主会場に、市内各地で実施されている兵庫県最大の祭典である。テーマは「緑と海そして愛」。 == 歴史 == 元来、神戸まつりの前身となるイベントは、戦前の1933年から開催されていた「みなとの祭」や1967年の「神戸港開港100周年記念祭」、並びにその前夜祭の「神戸カーニバル」である。神戸市の姉妹都市からの来賓を招待した式典や市街地でのパレード、みなとの女王のお披露目、神戸市電(路面電車)を使った花電車就航、国際大行進、懐古行列、市内の電飾などがあった。第1回「みなとの祭」が開催された1933年(昭和8年)当時は全国的な不況であり、神戸も例外ではなく、これを払拭するため、おりしも来神中のアメリカのポートランド関係者から同市のローズフェスティバルの話を聞きそれを参考に、当時の市長が市民祭として発案した祭りとされている。いわゆる伝統的な祭りではなく、市民創造型の新タイプの祭りとして始まった。 その後、1971年に交通事情の問題などを理由としてこの2つのイベントを統合した現在の「神戸まつり」が5月中旬の金・土・日曜日の3日間を中心に開催されるようになる。クィーン神戸のお披露目、各行政区における地域祭典、市民団体やマーチングバンド、姉妹都市からの来賓、さらに、サンバ・カーニバルなどによるパレードを開催している。 1995年の阪神・淡路大震災の影響で、同年の第25回開催は中止となる(大会の回次はそのまま残している)。また、この第25回の代替に元町商店街や南京町において、当初の予定とほぼ同時期となる5月20日と21日に「神戸五月まつり」が行われた。これを1995年の神戸まつりとみなすこともある。 1996年以降、7月20日が海の日として祝日になったことから、この日を中心とした開催に移動した。この年は各種企業や団体などから多くの協賛金が集まり、姉妹都市であるリオ・デ・ジャネイロから200名を越すエスコーラ・ジ・サンバの人たちが招聘され、また東京の浅草サンバカーニバルをはじめ全国のお祭りやパレードに出場するサンバチームも招待され、2日間にわたりパフォーマンスを繰り広げた。 2001年まで祇園祭、天神祭とならぶ「京阪神三大夏祭り」として周知させる動きもあったが、2003年から適用されたハッピーマンデー制度により、海の日が7月第3月曜日に移ったことや参加者・観客の根強い要望もあって、2002年から元の5月に回帰して開催を続けている。2005年以降は、日曜日に行われていたパレードが土曜日に変更されたが、2008年には再び日曜日にパレードが実施された。なお、以前に開催されていた7月には2002年から「みなとの祭」の性格を受け継ぐ「Kobe Love Port・みなとまつり」と題したイベントが行われている。 2009年(第39回開催)は市内で新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)の感染者が出た影響により、5月17日のメインフェスティバルの全てのイベント、5月16日の各区のまつりのうち、東灘うはらまつり・六甲ファミリーまつり・ふれあい中央カーニバルは中止となった(市内のその他の区では予定通り開催された)。メインフェスティバル会場である三宮界隈では開催中止を知らせる看板が至る所に掲げられ、開催当日は交通規制により迂回運行となるバスも通常通りの運行となった。 当初、荒天などによる中止の場合でも延期の予定が無かったため、中止が決定した際は第39回としての実施はせず、第25回の時と同様「欠番」扱いの予定だったが、その後「交通規制を敷かない」のを条件にステージ行事だけでも実施する方針となった。しかし5月28日の神戸市長による「ひとまず安心宣言」の中で、中止されたイベントのうちメインフェスティバルを7月19日に同規模で実施されることが発表された。ただし、時期的に日差しの強い日中の時間帯は避けざるを得ず、パレードも夕刻スタートで時間短縮を予定しており、当初参加する予定だった団体にのみ出場の可否を問い、団体数が多い場合は抽選にて決定するとしている。 学校週5日制実施まで、神戸市内の市立学校では「神戸まつりによる臨時休校」があった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神戸まつり」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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