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オリエンタルホテル(Oriental Hotel)は、兵庫県神戸市の旧居留地にあるホテル。初代は1870年(明治3年)に開業した日本最古級の西洋式ホテルであった。4代目が阪神淡路大震災で被災・解体されたが、2010年3月3日、同地に再オープンを果たした。 ==旧オリエンタルホテル(1870-1995)== 1870年(明治3年)にオランダ人のG・ファン・デア・フリース(G. van der Vlies)により神戸外国人居留地79番地にて開業した(ただし、明治3年初頭に発行された宣伝広告が発見されたため、明治3年以前に開業していた可能性が高い)。1887年(明治20年)に122番地のフランス料理店「レストラン・フランセーズ」(Restaurant Francaise、1886年開業)のオーナーであったフランス人のルイ・ベギュー(Louis Begeux)の所有となって、81番地に移転した。 1897年(明治30年)、アーサー・ヘスケス・グルーム(Arthur Hasketh Groom)およびエドワード・ハズレット・ハンター(Edward Hazlett Hunter)らの所有(後に有限会社に移行)となり、日露戦争七ヶ月前、訪日中ロシア陸軍大臣クロパトキン将軍一行は6月18日から宿泊する。1907年(明治40年)に6番地に移転した。このときの、神戸港メリケン波止場近くの海岸通に面するという立地を得て、風見鶏の館を手がけた建築家ゲオルグ・デ・ラランデとヤン・レッツェルが共同設計した3代目となる建物は、当時日本最高のホテルの一つと称された。素晴らしい食事を提供するホテルとして知られ、とりわけ神戸ビーフの名声を世界に広めた施設の一つとされている。 1917年(大正6年)には東洋汽船の所有となり、1926年にオリエンタルホテル株式会社が発足した。ホテル事業は大成功を収めたが、3代目の建物は1945年(昭和20年)6月5日の神戸大空襲で被弾して半壊し、復旧できずに取り壊された。 1948年(昭和23年)6月、グリルと宴会場のみで営業を再開し、1964年(昭和39年)に25-26番地に移転し、モダンな外観で世界初となる灯台を設置したホテル建物(4代目)を新築して営業を再開した。 運営法人は一時坪内寿夫率いる来島どっくグループに属していたが、来島どっくの経営難により1987年に当時絶頂期にあったダイエーに売却される。ダイエー傘下入り後は、ダイエーの資本によって新神戸オリエンタルホテルや神戸メリケンパークオリエンタルホテルという姉妹ホテルが建設された。本家である当ホテルは、1995年(平成7年)の阪神淡路大震災で倒壊はしなかったものの建物が大きな被害を受け、ホテルとしての営業が困難になったことから、暫く休業した後に廃業した。その後建物は取り壊され、125年の長き歴史に幕を閉じた。なお、併設されていた灯台は、神戸メリケンパークオリエンタルホテルの開業とともにそちらへ移転している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オリエンタルホテル」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Oriental Hotel (Kobe, Japan) 」があります。 スポンサード リンク
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