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神戸水道 : ミニ英和和英辞書
神戸水道[こうべすいどう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かみ]
 【名詞】 1. god 
: [と]
 【名詞】 1. door (Japanese-style) 
水道 : [すいどう]
 【名詞】1. water service 2. water supply, water supply system

神戸水道 : ウィキペディア日本語版
神戸水道[こうべすいどう]

神戸水道(こうべすいどう)とは、兵庫県神戸市北区にある千苅ダムから上ヶ原貯水池への導水管、神戸市内への送水管(水道)のことをいう。千苅導水路(せんがりどうすいろ)と称される場合もある。また本項では、神戸市の水源についても記述する。
== 概要 ==

1877年明治10年)神戸でコレラが発生し、また同時期にヘンリー・S・パーマーの設計による横浜水道の布設があり、人口増加による水需要の増大もあって神戸市への水道敷設の機運が高まった。1887年(明治20年)パーマーに調査を依頼し、県に送られた設計書類には当時にして40万円の予算が必要とあり、実現には至らなかった。当時の市民の飲料水の大半は井戸水で、神戸港に入港してくる外国船がもたらす影響もあり1890年(明治23年)から1891年(明治24年)にかけて再びコレラその他の感染症が続出し市民1,000名余りの死者を出す事態となり水道布設を必要とする機運が再び高まった。このころ神戸の発展はめざましく、パーマーの構想は再検討する必要があった。
1893年(明治26年)に、内務省の雇工師であったイギリス技師ウィリアム・K・バートンの設計による水道布設計画が市議会を通過し、神戸に日本で7番目となる近代的な水道が建設されることになった。水源には布引谷(布引五本松ダム)と烏原谷(鳥原ダム)が選ばれ、給水区域は生田川湊川の間(旧生田区のほぼ全域)、計画給水人口は25万人とされたが、水道利用家庭は増加を続け、市の水不足は補えず新たな水源確保が必要であった。神戸市は1911年(明治44年)の調査で、武庫川支流羽束川波豆川が水量や水質ともに大変良好で、琵琶湖を源流とする淀川から水源を確保するより維持費が少ないということで、上水道水源として、千苅貯水池の設計開発を開始した。水はこの千苅貯水池から宝塚市を横切り、西宮市に新設した上ヶ原浄水構場(浄水場)〔兵庫縣武庫郡甲東村上ヶ原新田字甲山の麓にあり千苅水源の貯水を導濾過したる浄水を神戸市に向け送る所にして主なる建造物(源水池1個 長28 幅10尺 深10尺 沈澄池1個 円形直径190尺 水深平均8尺 容積224,000立法尺) 神戸市水道畧説(大正10年神戸市役所)p.5〕を経て、神戸市内までの水道が建設された。着工は1914年大正3年)で、第1回工事が完了したのは1921年(大正10年)。さらに神戸市の人口は増加し続け既に給水能力限界水量に迫っていたため、水源地の貯水量を倍増すべく6メートルのダム嵩上げ増強などを行った第2回拡張工事は1926年(大正15年)に着工し1931年昭和6年)に完成した。この水路のことを神戸水道と呼び、現在でも水道として使用されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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