翻訳と辞書
Words near each other
・ 神戸臨港線
・ 神戸花鳥園
・ 神戸芸工大
・ 神戸芸能社
・ 神戸芸術センター
・ 神戸芸術工科大学
・ 神戸芸術工科大学の人物一覧
・ 神戸華僑歴史博物館
・ 神戸蒼誠会
・ 神戸薬科大学
神戸藩
・ 神戸蘭子
・ 神戸製紙所
・ 神戸製菓専門学校
・ 神戸製鋼
・ 神戸製鋼コベルコスティーラーズ
・ 神戸製鋼所
・ 神戸製鋼所ラグビー部
・ 神戸製鋼所加古川製鉄所
・ 神戸製鋼所神戸製鉄所


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

神戸藩 : ミニ英和和英辞書
神戸藩[かんべはん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かみ]
 【名詞】 1. god 
: [と]
 【名詞】 1. door (Japanese-style) 
: [はん]
  1. (n,n-suf) fiefdom 2. domain (precursor to current prefectures) 

神戸藩 : ウィキペディア日本語版
神戸藩[かんべはん]

神戸藩(かんべはん)は伊勢国河曲郡周辺を領有した。藩庁は神戸城三重県鈴鹿市神戸)。
== 略史 ==
神戸城2万石の城主であった滝川雄利慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いに於いて西軍に属したため、改易となった。代わって慶長6年(1601年)、尾張国黒田城愛知県一宮市木曽川町)3万5000石の城主であった一柳直盛が5万石で入封し、神戸藩が成立した。
寛永13年(1636年)、直盛は更に加増を受け、6万8000石で伊予国西条藩に転封となった。これにより同地は幕府領となり、神戸城も主要な建築物は破却された。
慶安4年(1651年)、近江国膳所藩主・石川忠総の次男・石川総長が、忠総の遺領のうち神戸周辺の1万石を分与されたため、神戸藩が再興した。総長は万治3年(1660年)、大坂定番となり河内国内に1万石の加増を受けた。第3代藩主・石川総茂は弟の大久保忠明に3000石を分知したため、1万7000石となった。享保17年(1732年)には常陸国下館藩に転封となった。
代わって河内国西代藩より、本多忠統が1万石で入封した。延享2年(1745年)には5000石を加増され、以後、1万5000石が当藩の知行高となった。若年寄に就任していたことにより築城を許され、寛延元年(1748年)には神戸城が再興された。忠統は文人大名として有名で、荻生徂徠の門人であった。また、茶人であり「宗範」の号を持っていた。藩校を興し、城内に「三教堂」を、江戸藩邸に「成草館」を構えた。
第5代藩主本多忠升享和3年(1803年)に倹約令を出し、自身も食事制限を行った。また、藩校を改革し文化10年(1813年)、城内の藩校を「教倫堂(こうりんどう)」、江戸の藩校を「進徳堂」とした。また、従来の古学から朱子学に変更した。
第6代藩主本多忠都時代の嘉永7年(1854年)には「安政東海地震」が起こり、神戸城と城下町は大破し、47人の死者が出た。
明治4年(1871年)、廃藩置県により神戸県となった。その後、安濃津県を経て三重県に編入された。藩主家は明治17年(1884年)に子爵となり華族に列した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「神戸藩」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.