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神戸阪急ビル(こうべはんきゅうビル)は、兵庫県神戸市中央区の阪急神戸三宮駅と一体になった商業施設。 次の2棟からなる。 *神戸阪急ビル東館(加納町四丁目2番1号)※現在は一部が仮設建造物 *神戸阪急ビル西館(北長狭通一丁目1番) ==神戸阪急ビル東館== 1936年、阿部美樹志の設計ならびに竹中工務店の施工により完成した、鉄骨鉄筋コンクリート造、地上5階(屋上に上がる階段室部分を含めると6階)+地下1階の商業施設である。 「駅と軌道を取り囲むようにビルがある」というよりは「ビルの1フロアに駅と軌道が貫通している」という意匠であった。表通りのフラワーロードに面する軌道用開口部はトンネルの出入り口形状(半円形状)となっており、また、建物全体が異人館や旧居留地を抱える神戸の玄関口にふさわしいヨーロッパ建築を思わせるデザインであったことから、「阪急電車が出てくる(吸い込まれる)城」と言われ、その威容は神戸港やその港外に停泊している船の甲板からでも眺めることができたことなど、神戸税関と並んで当時の神戸のシンボル的存在の建築物であった。 1995年、阪神・淡路大震災で、戦後に増築された部分の映画館「阪急文化」のフロアの崩壊をはじめとして建物随所おいてに亀裂が発生した。それでも建物自体は概ね原形をとどめていたが、1995年2月に昼夜の突貫作業にて軌道を支える構造部分のみを残してすべて解体された。解体の理由は、鉄道の早期復旧を優先するためと言われている。もちろんそれは事実ではあるが、他の理由として、この時点で、このビル自体が既に築60年に差し掛かって老朽化していたことも挙げられる。即ち、復旧によって使い続けていたとしても、やがて解体をする際には、建物の構造上、電車を運休する必要も考えられたため、被災により電車を運休せざるをえないこの時期に解体したのは妥当であった、と評価するものである。一方で、当時を知る沿線住民には、今でも往時の神戸阪急ビル東館の復元を望む声は多く根強い。ただし、電車を運休せずに復元するのは、現在の技術とコストと阪急・神戸高速のダイヤの調整等を勘案すると極めて難しい。 なお、沿線住民の間では、神戸阪急ビル東館が「阪急会館」と呼ばれることも少なくなかった。これは、震災前の神戸阪急ビル東館にあった三つの映画館(阪急シネマ・阪急会館・阪急文化)のうちの一つの名称であるが、「新聞会館(神戸新聞会館)」・「国際会館(神戸国際会館)」などとともに親しまれた。それゆえ、震災後に仮設建造物にて営業していた映画館の名称には、阪急シネマではなく「阪急会館」が採用された。 しかし震災後、仮設建造物の状態が長く続くうちに、神戸阪急ビル東館をさして「阪急会館」と呼ばれることも少なくなってきた。代わりに「阪急三宮」あるいは「阪急」とのみ呼ぶようになっている。これは、震災前の神戸阪急ビル東館が先述の「ビルの1フロアに駅ならびに軌道が貫通している」という意匠のとおり駅よりもビルが象徴的であった一方で、震災後の神戸阪急ビル東館は「阪急三宮駅の高架下」つまり駅に付属する建物というイメージが強いために、人々の認識が変遷したとみることができる。さらに、映画館「阪急会館」も、1946年から震災を経て続けてきた営業が2007年5月22日をもって終了となり、当ビルの代名詞でもあった「阪急会館」は名実ともに姿を消した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神戸阪急ビル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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