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神田カルチェ・ラタン闘争(かんだカルチェ・ラタンとうそう)は、1968年6月21日に社学同(=ブント=社会主義学生同盟。共産主義者同盟の学生組織)が東京神田駿河台の学生街で起こした解放区闘争。駿河台の通り2か所にバリケードを築いたが、たちまち機動隊に突破された。 == 概要 == この年8月にオーストラリアで、アスパック(ASPAC=アジア太平洋閣僚会議)の開催が計画されており、日本からも外務大臣が出席の予定であった。社学同は、この会議が日本帝国主義のアジア再侵略への一歩であり、70年安保の実質化であると位置づけていた。そこでこの日、アスパック開催抗議の実力闘争を組もうとして、この「神田カルチェ・ラタン闘争」を呼びかけた。各地から集まった社学同700名は、中央大学中庭で集会を開いた後、“神田を日本のカルチェ・ラタンにせよ”というスローガンで闘争を展開し、駿河台の通り2か所に、中央大学や明治大学から持ち出した机などを使ってバリケードを築いた。しかし機動隊がバリケード解除に来ると、あまり衝突することもなく学生側が退避した。結局、周辺の学生がたくさん集まり、社学同は明大大学院前で約3000人の学生を集めて集会を行ってから解散した〔『教育大学新聞』1968年6月25日号〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神田カルチェ・ラタン闘争」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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