翻訳と辞書
Words near each other
・ 神田典城
・ 神田出入口
・ 神田利則
・ 神田勇哉
・ 神田勝夫
・ 神田北乗物町
・ 神田区
・ 神田千絵
・ 神田千里
・ 神田卓朗
神田博
・ 神田博 (フィギュアスケート選手)
・ 神田博司
・ 神田厚
・ 神田古書店街
・ 神田司町
・ 神田和佳
・ 神田和幸
・ 神田和泉町
・ 神田和美


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

神田博 : ミニ英和和英辞書
神田博[かんだ ひろし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かみ]
 【名詞】 1. god 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [ばく, ひろ]
  1. (n,n-suf,vs) doctor 2. Ph.D. 3. exposition 4. fair 5. exhibition 6. commanding esteem 7. winning acclaim 8. gaining 9. receiving 10. command esteem 1 1. win acclaim 12. gain 13. receive

神田博 : ウィキペディア日本語版
神田博[かんだ ひろし]

神田 博(かんだ ひろし、1903年12月25日1977年6月30日)は、昭和期の政治家厚生大臣
==来歴・人物==
現在の新潟県東蒲原郡阿賀町に生まれる。1928年法政大学専門部法律科を卒業後内務省に入る。同省地方局から静岡県属となり、水産、人事、秘書、商工の各課長を務める。その後理研軽金属工業静岡工場長を経て、1946年第22回衆議院議員総選挙自由党から旧静岡1区にて立候補し当選を果たす(当選同期に小坂善太郎二階堂進江崎真澄小沢佐重喜石井光次郎坂田道太原健三郎川崎秀二井出一太郎早川崇中野四郎など)。以後当選8回。村上勇とともに、大野伴睦の最も早い時期からの側近であった。
豪快な性格でガラッパチと呼ばれ、いかにも浪花節の大野派らしい野人的な党人派政治家であった。また厚生行政に詳しく、1956年石橋内閣にて、および1964年第3次池田内閣改造内閣でそれぞれ厚生大臣として入閣。1965年には従来支給額5,000円であった厚生年金を1万円に引き上げる「一万円年金」法案を可決に導いた。
1972年の総選挙で落選すると、1974年第10回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し当選する。1974年勲一等瑞宝章受章。1977年6月30日、参議院議員在職中に73歳で死去。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「神田博」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.