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神田 純一(かんだ じゅんいち、1885年(明治18年)5月〔『人事興信録』第14版 上、カ137頁。〕 - 没年不詳)は、日本の朝鮮総督府・内務官僚、実業家。官選鳥取県知事。 ==経歴== 山口県出身。神田柳助の長男として生まれる〔。第六高等学校を卒業〔。1911年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1912年11月、文官高等試験行政科試験に合格。朝鮮総督府に入府し内務部試補となる〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』202頁。〕。 以後、朝鮮総督府事務官、同書記官、長崎県理事官、陸軍省航空局書記官、関東庁内務局長、大連民政署長などを歴任〔〔『新編日本の歴代知事』766頁。〕。 1930年8月26日、鳥取県知事に就任。県財政の健全化のため緊縮政策を推進した〔。1931年12月18日、知事を休職〔『官報』第1493号、昭和6年12月19日。〕。1932年1月29日、依願免本官となり退官した〔『官報』第1523号、昭和7年1月30日。〕。 その後、名古屋市助役、東邦化学工業 (株) 取締役を務めた〔〔。戦後に公職追放となる〔。その他、愛知時計電機常務、愛知機械工業会長などを歴任〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神田純一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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