|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 神 : [かみ] 【名詞】 1. god ・ 神聖 : [しんせい] 1. (adj-na,n) holiness 2. sacredness 3. dignity ・ 聖 : [ひじり, せい] 1. (pref) saint 2. st. ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 皇帝 : [こうてい] 【名詞】 1. emperor ・ 帝 : [みかど] 【名詞】 1. (1) emperor (of Japan) 2. mikado 3. (2) (the gates of an) imperial residence
神聖ローマ皇帝(しんせいローマこうてい、、、)は、神聖ローマ帝国の君主たる皇帝を指す歴史学の用語。実際の称号は時代によって変化しており、統一された称号はない。カール大帝以降を指す場合とオットー1世以降に限る場合がある。理念的には、中世西ヨーロッパにおける世俗の最高支配者とされた。カトリック世界において普遍的な世俗支配権を主張し、特にドイツとイタリアで国法上最も重要な位置を占め、指導的役割を担った。特に後半期、国号に「ドイツ国民の」が加わったこともあり、ドイツ皇帝と呼ぶ場合もある。 ==概要== 神聖ローマ皇帝の皇帝権は、800年のカール大帝の戴冠により西ヨーロッパにおける覇権的君主権として成立し、またキリスト教と密接に結びついた。962年のオットー大帝の戴冠以降は、皇帝権はドイツ王権と不可分なものとなり、中世を通じてヨーロッパの世俗支配権の頂点に君臨した。特にオットー大帝以後13世紀のシュタウフェン朝断絶にいたるまでの、いわゆる「三王朝時代」は皇帝権は教皇権とともに西ヨーロッパのキリスト教世界の権威と権力を二分していた。ただし「神聖ローマ皇帝」という称号が実際に用いられたわけではない。実際に用いられた称号には様々なものがあった。たとえば、カール大帝の称号は「至尊なる尊厳者、神により戴冠されし、偉大にして平和的な、ローマ帝国を統治する皇帝」である。 シュタウフェン朝の断絶以後、ハプスブルク家のルドルフ1世の即位までの「大空位時代」に皇帝権は著しく衰退し、帝国の諸勢力にさまざまな特権を付与し、この時代から普遍的皇帝理念と現実の皇帝の政治権力の間にかなりの乖離が見られるようになった。したがって中世後期以降はその権限の及ぶ範囲はほぼドイツの領域に限られるようになり、さらに皇帝の政策を見ても、帝国や皇帝権の利害よりは自分の家門を強化することを重視するようになった。 中世を通じて国王選挙には、しばしば教皇やのちには外部の王権が介入することがあったが、1356年にカール4世は金印勅書を発して、国王選挙に参与する選帝侯の地位を固定し、その世襲を明確化した上で選挙によって選ばれた国王がただちに皇帝としての権力を得ると定めることで、皇帝権の自律性を高めた。 フリードリヒ3世の緩慢ながらも長い治世〔フリードリヒ3世の統治は53年間に及んだ。この間彼の統治は何度も危機を迎えるが、結局彼を脅かした政敵たちは次々と先立っていった。さらにシャルル突進公の死によって、息子マクシミリアンがブルゴーニュ公国を獲得した。〕とマクシミリアン1世の多産な治世〔マクシミリアン1世は積極的な婚姻政策を展開し、孫の時代には、ボヘミア、ハンガリー、スペインなどがハプスブルク家の家領となった。〕を経て、カール5世が即位する頃には、皇帝権がハプスブルク家によって事実上世襲されることが明確となり、以後帝位は1806年に皇帝が法的に消滅するまで、ハプスブルク家によってほぼ独占された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神聖ローマ皇帝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|