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神護寺三像(じんごじさんぞう)は、京都神護寺が所蔵する三幅の肖像画。「絹本著色伝源頼朝像、絹本著色伝平重盛像、絹本著色伝藤原光能像」の名称で1951年(昭和26年)に国宝に指定された。 == 概要 == === 作品の基本情報 === この三像とも絹本著色、掛幅装。サイズは伝源頼朝像が縦143cm、横112.8cm、伝平重盛像が縦143cm、横112.2cm、伝藤原光能像が縦143cm、横111.6cmで、人物はほぼ等身大に表される。三像とも絹を複数貼り合わせるのではなく、一枚絹(1幅1舗)に描かれている。伝頼朝像は向かって右斜め、伝重盛像、伝光能像は向かって左斜め向きに、上畳(あげだたみ)上に座す。三像とも束帯姿で、黒色の袍(ほう)を着用し、冠を被り、笏(しゃく)を持って威儀を正し、太刀を佩用する。伝頼朝像、伝光能像は足には襪(しとうず)を履くが、伝重盛像の足は現状では見えない。足の上あたりに見える細長い布は太刀の平緒である。袍の文様は、伝頼朝像が輪無唐草文、伝重盛像、伝光能像が轡(くつわ)唐草文である。太刀は、伝光能像では柄(つか)部分が剥落しているが、伝頼朝像、伝重盛像のそれは、柄の形式から毛抜形太刀であることがわかる。有職故実的な検討から三像とも四位以上の公卿であり、武官であることが判明している〔鈴木敬三 「似絵の装束について」『新修日本絵巻物全集』26巻、角川書店、1978年。〕。 作者は藤原隆信と伝えられている。一見して共通性の高い像だが、研究の進展により三像には描法や裏彩色などに違いがある。制作年代については諸説ある(くわしくは後述)。画風は大和絵に宋画の手法を加味したものと評され、ひげ、眉、睫毛、髪の生え際などは細かく線を重ねる丁寧な墨描きで表現され、伝頼朝像の面部にはごく淡い朱色の隈取りをほどこして立体感を表出している。伝重盛像は面部などの画面に損傷が多く、上畳の前方のへりの文様はほとんど消失している。伝光能像は他の2像より少し遅れた時期に作られ、やや作風が劣ると評されている。 所有者は神護寺。伝頼朝像、伝重盛像は京都国立博物館、伝光能像は東京国立博物館にそれぞれ寄託されている。毎年5月1日から5日に開かれる神護寺の曝涼(虫干し)展では、伝頼朝像、伝重盛像の2像は神護寺に里帰りし一般公開される(有料)。伝光能像も、東博の常設展などで定期的に公開される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神護寺三像」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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