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神近 市子(かみちか いちこ、本名:神近イチ、1888年6月6日 - 1981年8月1日)は、日本のジャーナリスト、婦人運動家、作家、翻訳家、評論家である。ペンネームは榊 纓(さかき おう/えい)。戦後は一時期、政治家に転身し、左派社会党および再統一後の日本社会党から出馬して衆議院議員を5期務めた。 == 生涯 == 長崎県に生まれる。津田女子英学塾卒。在学中に青鞜社に参加。青森県立女学校の教師ののち、東京日日新聞の記者となった。 1916年、金銭援助をしていた愛人の大杉栄が、新しい愛人伊藤野枝に心を移したことから、神奈川県三浦郡葉山村(現在の葉山町)の日蔭茶屋で大杉を刺傷。殺人未遂で有罪となり一審で懲役4年を宣告されたが、控訴により2年に減刑されて同年服役した。裁判では市子は社会主義者ではないと弁明し、野枝に対する妬みを詳細に陳述した。(日蔭茶屋事件) 出獄後、『女人藝術(にょにんげいじゅつ)』に参加して寄稿したほか、『婦人文藝』を創刊して文筆活動を開始。 戦後、1947年に民主婦人協会、自由人権協会設立に参加。1953年、第26回衆議院議員総選挙に旧東京5区で左派社会党より出馬して当選。1955年の社会党再統一により党内では左派に属し、計5回の当選を重ねたが、1960年の第29回衆議院議員総選挙では落選しているため、連続当選は3回まで。1957年の売春防止法成立に尽力した。 1969年政界を引退。 1970年、日蔭茶屋事件を扱った吉田喜重の映画『エロス+虐殺』の上映差し止めを求めて提訴したが、「周知の事実」として棄却された。 大杉の「自由恋愛論」に賛同した時代と、事件の反省から、出獄後の中産階級的道徳へ回帰した時代とで思想的断絶が大きく、1956年には谷崎潤一郎の「鍵」を猥褻文書ではないかとして国会で問題にした。売春防止法成立に際しても、主婦の貞操を守るため娼婦の犠牲はやむをえないと述べるなど、他の廃娼運動論者とは一線を画す。 1981年に死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神近市子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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