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神野 純一(じんの じゅんいち、1970年4月14日 - )は、愛知県東海市出身の元プロ野球選手(内野手)である。 == 経歴 == 享栄高等学校では2年先輩に近藤真市、長谷部裕、2年後輩に高木浩之がいた。甲子園出場はならず、愛知工業大学へ進む。愛知大学リーグ通算93試合出場、359打数125安打、打率.348、9本塁打、51打点。最優秀選手1回、敢闘賞2回、ベストナイン3回受賞。シーズン個人最多安打記録(92年秋季26安打)を樹立、愛知大学野球リーグ通算安打記録となる125安打を放った。1本差の2位は後に中日で共にプレーすることになる愛知大学の岩瀬仁紀。1992年のドラフト7位で中日ドラゴンズに入団。 主に遊撃手としてプレーし、二塁手・三塁手でもプレーしていた。 1996年6月12日にはヤクルト戦(ナゴヤ球場)で高津臣吾からのサヨナラ本塁打を含む1試合3本塁打を放った。この年の本塁打数はこの3本だけで、1試合3本塁打がシーズンの全てとなったのは、1988年の石橋貢(大洋)以来史上2人目。 1999年に右肘を手術。その後は代打の切り札として活躍。サヨナラ打を打つなど活躍も見せ、レオ・ゴメス欠場時には三塁スタメン出場もあった。 2003年シーズンをもって現役を引退。現役最後の2軍の試合での結果は三振だった。 現在は、中日のマネージャーとなっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神野純一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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