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神門神社 : ミニ英和和英辞書
神門神社[みかどじんじゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かみ]
 【名詞】 1. god 
: [もん]
  1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons 
神社 : [じんじゃ, かむやしろ]
 【名詞】 1. Shinto shrine 
: [やしろ]
 (n) shrine (usually Shinto)

神門神社 : ウィキペディア日本語版
神門神社[みかどじんじゃ]

神門神社(みかどじんじゃ)は、宮崎県東臼杵郡美郷町にある神社。祭神は大山祇神百済の禎嘉王、倉稲魂命、品陀和気命(応神天皇)ほか。本殿は国の重要文化財に指定されている。
== 概要 ==
養老2年(718年)の創建と伝えられる。
『神門神社縁起』によると、奈良時代中期の孝謙天皇天平勝宝八歳(756年)、660年に滅亡したはずの百済より政争を逃れたという王族の禎嘉王とその子の福智王日向の海岸に漂着し、やがて禎嘉帝は神門の地に落ち着き、福智王は現在の木城町に住んだとされる。「益見太郎」または「益シ見ル者」の援助があり、父子はこの地で崇敬され、死後は神として祀られたという(詳細は後述)。
三国史記』によると、756年は統一新羅・景徳王の時代で、この前後に災害が続き民が飢えたことが記されている〔『三国史記』巻1p296〜297,東洋文庫,平凡社,井上秀雄〕。
日本側の記録『続日本紀』によると、天平宝字三年九月四日(759年)条に、以下のように記されている〔『続日本紀』中巻p234,講談社学術文庫〕。
「近年、新羅の人々が帰化を望んで来日し、その船の絶えることがない。
彼らは租税や労役の苦しみを逃れるため、遠く墳墓の地を離れてやってきている。
その心中を推し量ると、どうして故郷を思わないことがあろうか。
それらの人々に再三質問して、帰国したいと思う人があれば、食料を与えて帰らせるように。」



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「神門神社」の詳細全文を読む




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